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ジハード 2 [(アラビア) jihād]

イスラム教徒信仰迫害されたり、布教妨害された場合に、武力訴え行為聖戦


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ジハード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/05/27 01:33 UTC 版)

ジハードجهادjihād)は、イスラームにおいて信徒(ムスリム)の義務とされている行為のひとつ。

ムスリムの主要な義務である五行には含まれない。五行にこれを加えて「第六番目の行」に加えようという主張は異端とされる。一般には「聖戦」と訳されているが、厳密には正しくない。

イスラーム聖典クルアーン(コーラン)には、例えば「神の道のために奮闘することに務めよ」というような句が散見される。この中の「奮闘する」「努力する」に当たる動詞の語根 jahada (アラビア語: جهد‎)がジハードの語源であり、ジハードの語は元来アラビア語で「ある目標をめざした奮闘、努力」を意味する。この「努力」の語の元来の意味には「神聖」あるいは「戦争」の意味は含まれていなかった。しかしコーランに於いてはこの言葉が「異教徒との戦い」を指すことにも使われており[1]、これが後に非ムスリムへの侵略戦争を肯定する思想、いわゆる「外へのジハード」として確立した[要出典]

目次

二つのジハード

イスラーム学者によって整理されたところによると、ジハードには2種類が存在するという。[誰?]

  • 個人の内面との戦い。内へのジハード
  • 外部の不義との戦い。外へのジハード

「内へのジハード」は、個々人のムスリムの心の中にある悪、不正義と戦って、内面に正義を実現させるための行為のことである。例えば、イスラーム共和制をとるイランでは、「ラマダーン月はジハードの月」などの標語において、緩みがちなムスリムたちの規律を正し、イスラーム共和国の理想を思い起こさせるための行為、との意味で「ジハード」が用いられる[要出典]

現在では多くの学者は内へのジハードを『大ジハード』(الجهاد الأكبرal-jihād l-akbar) と呼び、対して外へのジハードを『小ジハード』(الجهاد الأصغرal-jihād l-asghar)と呼ぶ。だが歴史的に見ればこれは平和主義と寛容さを旨とするイスラーム神秘主義の潮流で非常に好まれてきたものであり、支配者・権力者は領土拡大や侵略の大義名分として利用できる外へのジハードをより重んじてきた[要出典]。現在でもイスラーム・テロリストなどは外へのジハードを大義名分として行動している。

したがって現実には『ジハード』と呼んだ場合その殆どが『外へのジハード』であると見て差し支えない。

外へのジハード

一般に「聖戦」と訳されるジハードが、ここでいう「外へのジハード」である。

概要

正統カリフイスラーム共同体ウンマ)からイスラーム帝国へと発展していく、イスラーム世界拡大の戦いが落ち着き、イスラーム世界のおおよその範囲が定まっていった810世紀頃に整備されたイスラーム法(シャリーア)は、初期イスラームの拡大戦争を支えたイデオロギーである「外へのジハード」を以下のような観念にまとめた。すなわち、

(外への)ジハードとは、イスラーム世界を拡大あるいは防衛するための行為、戦い

である。守旧的イスラームと古典シャリーアの理念においては、イスラーム共同体の主権が確立され、シャリーアが施行される領域、ダール・アル=イスラーム دار السلام(直訳すれば「イスラームの家」だが、イスラーム世界のこと)に全世界とその人民が包摂されていなければならない。しかし、現実には「イスラームの家」の外部には、イスラーム共同体の力が及ばないダール・アル=ハルブ دار الحرب‎(同じく「戦争の家」だが、イスラームの及ばない世界のこと)が存在するから、「戦争の家」を「イスラームの家」に組み入れるための努力、すなわちジハードを行うことはムスリムの義務とされる。

上の定義から、甚だしい場合『イスラーム共同体の支配に服さない異教徒に対するジハードは、侵略戦争も含めてイスラームの教えに照らせば原則として正しい行為であり、イスラーム共同体は最終的には全世界を征服し、異教徒を屈服させなければならない』という論理すら導き出される。[2]これはイスラームがしばしば好戦的な宗教と見られる所以でもある。

しかし、イスラームのジハード思想では、異教徒の国家・社会に対する侵略戦争や、その結果として非ムスリムを隷属させることは認められているが、征服地の異教徒に対する(少なくとも狭義の)強制改宗は明確に否定されている[3]

更に言えば「イスラームの家」を拡大する行為とは必ずしも侵略戦争というわけではなく、中央アジア東南アジアのように基本的には平和的な「ジハード」により「イスラームの家」が拡大された場合も少なくない。その担い手はこれらの地域に赴いた商人やイスラム神秘主義者(スーフィー)の聖人たちであった。また、「イスラームの家」の支配下に入った啓典の民であるユダヤ教徒やキリスト教徒(のちには拡大解釈が行われ、ゾロアスター教徒やヒンドゥー教徒、仏教徒まで啓典の民として扱われるようになる)たちは、イスラム主権下で一定程度の人権を保障された隷属民「ズィンミー」たることを強制された[4] 。彼等は厳しい差別に苦しんだものの地域によっては比較的寛容に取り扱われたことも少なくなかった。

時には、「戦争の家」に住む異教徒たちが、「イスラームの家」に対して戦争を仕掛けてくることもありえるから、このような場合にもイスラーム共同体防衛のためのジハードがムスリムの義務となる[要出典]

ジハードに従事する者はムジャーヒド(単数形)およびムジャーヒディーン(複数形)と言う。彼らに対して、はコーランを通じて「神の道に戦うものは、戦死しても凱旋しても我らがきっと大きな褒美を授けよう」と教え、ジハードで戦死すれば殉教者として最後の審判の後必ず天国に迎えられると約束する。一方で、コーランは「敵に背を向けるものは、たちまち神の怒りを背負い込み、その行く先は「ジャハンナム(地獄)」であると語り、ジハードの忌避を激しく非難している。[5][6]

しかし、戦争が神の道を実現するためにふさわしい努力行為、ジハードとして正当な戦争たりうるためには、異教徒がイスラム共同体に対して戦いを挑み、『不義』をなした場合に限られる、ともコーランは説いており[7]、従って、異教徒たちがイスラム共同体と一時の和平を結び、『不義の』戦争を停止しようとしているならば、イスラーム共同体の側も異教徒に対する害意を捨てて和平を認めねばならないという解釈もある。この論理にもとづけば、イスラーム共同体はイスラームとの戦いを望まず『正義』を認めている「戦争の家」の諸国とならば、条約を結び外交関係を樹立することができるとされる。これらの諸国は『和平の家』と呼ばれ、『戦争の家』とは区別される。[8]これらはイスラーム初期の拡張政策が行き詰まり、イスラーム国家による世界征服が不可能であることが明白となった現実に対応した側面もある[要出典]

もし、ある戦争行為をジハードとして遂行することが必要となった場合は、統治者(カリフスルタン)はムフティーにその戦争がジハードとして認められるかどうかを諮問しなければならない。その結果、ムフティーが合法であるとするファトワーを発することで、統治者はジハードを宣言することが出来る。この場合その戦争が『防衛的ジハード』である場合は国家を超えてすべてのイスラム教徒が直接的・間接的な手段のいずれかでジハードに参加しなくてはならない。但し歴史的に見れば当該統治者の臣民以外にジハード参加の強制力を及ぼすことは難しかった。対してそれが『攻撃的ジハード』(異教徒に対する侵略戦争)の場合、参加義務は戦争を仕掛ける統治者とその部下・臣民のみにあり、その他のムスリムはジハードへの協力を推奨されるものの義務としては課せられない[9]

なお、ムスリムであっても、イスラームの信仰に逸脱する信条を抱くようになったとされるものは不信心者(カーフィル)と呼ばれ、「戦争の家」に住む異教徒以上の悪であり、すみやかにジハードによって打倒されなくてはならない者と古典イスラーム法では説いている。かつてスンナ派オスマン帝国シーア派サファヴィー朝が領土を巡って戦争するときは、お互いを不信心者と決め付けることによってその戦争をジハードと位置付け、戦争の正当性を確保したし、イラン・イラク戦争においてイラン政府側が世俗主義を標榜するバアス党政権のイラクに対して激しい敵意と憎悪を見せたのはこのような思想を背景とする。

さらに過激なものでは、エジプトジハード団のように、彼等の解釈どおりのイスラームの教えに則って社会生活を送らない者は全て不信心者であり、異教徒同様テロリズムによって殺害して構わないという解釈をとるものもある[要出典]

捕虜の取り扱い

11世紀に活躍したシャーフィイー学派の法学者で、古典イスラーム国法学の祖とされるマーワルディーは、著書『統治の諸規則』(al-Aḥkām al-Sulṭāniyya wa-l-Wilāyāt al-Dīniyya)の「第12章 ファイとガニーマの分配について」においてムスリム軍によって捕虜となった異教徒の兵士の処遇について、法学者の意見が分かれていることを予め説明しており、主要法学派の名祖3人の見解を述べている[10][11]

『統治の諸規則』にみられる各法学派の見解

シャーフィイー学派の名祖シャーフィイーの説では、イマームまたはその代理としてジハードの指揮を任された人物は、異教徒の捕虜の処遇として、1)殺害、2)奴隷化、3)身代金の支払いもしくはムスリムの捕虜との交換による釈放、4)身代金無しで釈放の恩恵を与えるか、4つの選択肢を任意で行える、としている。もしこの時イスラームに改宗した場合、死罪は課せられず、他の3つの選択肢から選ばれる。

マーリク学派の名祖マーリク・イブン・アナスの説では、同じく捕虜の処遇として、1)殺害、2)奴隷化、3)身代金では無くムスリムの捕虜との交換、の3つの内から選ばねばならず、恩赦は認められない、としている。

ハナフィー学派の名祖アブー・ハニーファの説では、殺害するか奴隷にするか2つに1つのみである、といい恩赦も身代金との交換も認められない、としている。

シャーフィイー学派の法学者のマーワルディーは「しかしながら」としてコーラン(クルアーン)の恩赦と身代金について、「それから後は、情けを掛けて釈放してやるなり、身代金を取るなりして、戦いがその荷物をしっかり下ろしてしまうまで待つが良い」(第47章 5 [4]節)という記述を引用し、ムハンマドのハディースをいくつか引用してマーリクとアブー・ハニーファの論を否んでいる。

マーワルディーが述べる戦争捕虜に対する4つの取扱い

マーワルディーが述べる戦争捕虜の処遇としては、預言者ムハンマドがバドルの戦いで身代金を受け取り、ついで味方の捕虜ひとりに対して敵の捕虜ふたりと交換した例を引く。また、改宗を拒んでいる捕虜については、イマームはシャーフィイーのあげた4つの選択肢のうちひとつを選んでも彼らの取扱いについてよくよく調べて決定を再度熟慮することを促している。

また、捕虜のなかで「力があって害をなすことが甚だしいと分かった者、イスラームへの改宗の見込みが全く無い者、その人物を殺害することが敵の人民を弱体化させることが分かった者」は、殺害すべきだが、それ以上の見せしめの罰を科すべきでは無い、とする。

また、「捕虜のなかで丈夫そうな者、働く能力のある者、裏切りや悪行などの点で安心出来る者」はムスリムの助けとするため、奴隷とすべきであるという。

「イスラームに改宗の見込みがある者、自分の部族の人々に良く慕われていて恩赦を与えれば本人がイスラームに改宗するか部族の人々をイスラームへの改宗に導けそうな人物」などは、恩赦を与えて釈放すべきであるという。

また、財産を保有しムスリムにとって必要な物品を保有する捕虜の場合、身代金をとって釈放すべきであるという。このような裕福な捕虜が属す部族に、ムスリムの捕虜が捕らえられている場合、男女に拘わらず、身代金は取らずにその捕虜と引換えにムスリムの捕虜を取り戻すべきであるという。

イマームは最大限に慎重さをもって以上の4つの選択肢を選ぶべきである、とマーワルディーは述べる。しかし、「多神教徒の捕虜のなかでも、害をなすことが大きく、悪意が強い故に殺すことが認められた者でも、イマームは恩赦を与えて釈放することができる」と述べている。

婦女子の捕虜に対する取扱い

女性や子供の捕虜の場合、ムハンマドの慣行に従い死刑は免除される。また奴隷にされたときも母子が離されることはない。但しこれはハナフィー学派の場合であり、シャーフィイー学派によれば、啓典の民以外の異教徒なら女子供であろうと殺してよいとしている。[12]

また、女性の捕虜が兵士たちの「戦利品」として分配され、分配を受けた兵士はその女性を強姦して自分のものとする権利が与えられることもあった。これについてはスンナ派のハディース集「真正集」(ブハーリー著)に記述があり、そこでは預言者ムハンマド在世中のイエメンへの遠征の際アリーが他の兵士の取り分であった女性を横取りして強姦したため、自分の権利を侵害された兵士がムハンマドに直訴し、逆に諭されている[13]

また戦争捕虜となった女性の中には奴隷化される人も少なくなかったが、女性奴隷は性的欲求を処理する「道具」としてとらえられることもあり、イスラーム世界の上流階級のハレムの人員の供給源となった[14]

成人男性の民間人捕虜への取り扱い

現代の戦時国際法は、「実際に戦闘に従事した捕虜であっても、正当な理由があり、裁判などの正当な手続きを踏まなければ死刑に処してはならない」と定めている。しかし、イスラーム戦争法では、「戦闘にまったく従事していない民間人の捕虜であっても、健康な成人男性である場合は戦闘員の捕虜と同様に扱われ、裁判無しでも司令官の一存で死刑に処することが認められる」とされている。なお、司令官の側に処刑が義務付けられているわけではない。2004年のイラク日本人青年人質殺害事件で、人質を殺害したイスラーム武装組織の行動もこの論理を踏まえたものとされ、イスラーム専門家である中田考は「イスラーム法上、殺害は合法である」と述べた[15]

外へのジハードの実際

歴史的に見れば、全イスラーム共同体がジハードの意識を高め、異教徒との戦いにあたったのは、初期イスラームの時代の侵略と征服活動の時期、およびイスラーム世界を侵略し、多くのムスリムを虐殺した十字軍中東に出現した時代に限られている[要出典]。それ以外では現在までジハードの語は非宗教的な動機によって引き起こされた個々の戦争やテロリズムをイスラムの名のもとに正当化するための論理として用いられる。

近代においても大筋においてはその傾向は変わらず、第一次世界大戦のときオスマン帝国が発したジハードの宣言も、インドのムスリムの対英協力やアラブ人の反乱を押し留めることはできなかった。しかしその一方で、19世紀には主にイスラーム世界の辺境である西アフリカマグリブスーダン、インドや東南アジアで、ジハードを宣言する反植民地主義、反帝国主義の戦いが頻発し、防衛のためのジハードの意識は高まっていったことも事実である。20世紀にはイスラエルの拡大と戦うパレスチナハマースソビエト連邦の侵攻と戦うアフガニスタンムジャーヒディーン運動が盛り上がるが、これらの根底には近代ムスリムの侵略に対する抵抗運動としての防衛ジハードの思想との共通性を見出すことができる。


近年には、政治的な動機による戦争の正当化や、過激派のテロリズムを正当化する標語として、ジハードの語がきわめて頻繁に用いられ、本来ジハードの宣言を行う資格のない者がジハードを唱える局面が増えつつある。しかし、ジハードを標榜する政治家やテロリストの言葉がある程度のムスリムの人々をひきつけているのは事実として認められる。これは、欧米が支援する(と少なくともムスリムは考えている)イスラエルが、パレスチナのムスリムたちを追いやり、弾圧していることや、アメリカの空爆がアフガニスタンやイラクの独裁政権のみならず、ムスリム民衆たちまでをも死に追いやっているという現実に対し、侵略される側の者としての怒りの意識を多くのムスリムが共有しているために、「いまこそがイスラーム共同体を防衛するためジハードを行うべきときである」という政治家やテロリストたちの言葉に、彼らが多かれ少なかれ共感を抱くからに他ならない。しかしアメリカ以外の国でもインドネシアやタイ、フィリピンではイスラムの勢力拡大のために利用できる場合はジハードと言う言葉をテロや戦争の正当化に利用している組織もある。そのため反イスラーム主義者から『ムスリムは都合次第で殺戮をジハードとして正当化している』と批判される口実を与える形となっている。

外へのジハードと天国

上述のとおり、ジハードで戦死した者は天国にいけるとされている。イスラームにおける天国はアラビア語で(جنّةjannah) と呼ばれ、『クルアーン』ではその様子が具体的に綴られているが、『男性は天国で72人の処女(フーリー)とセックスを楽しむことができる。彼女たちは何回セックスを行っても処女膜が再生するため、永遠の処女である。また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる。』[16]という一般的な理解から、このような天国での物質的快楽の描写がジハードを推し進める原動力となっているという指摘もある。実際に過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている[17]

しかし、コーランの理性的、近代的解釈を推し進める学者を中心として、これらの描写は比喩的なものに過ぎないという意見も少なくない。また、処女とは間違いで、実際は白い果物という意味だという説もある。


  1. ^ 例えばコーラン第九章第八十一節には『居残り組の者どもは、アッラーの使徒が(出征した)後に残されて大喜び。もともと、彼らとしては、己が財産と生命を擲ってアッラーの道に闘うのは嫌だと思っていた』の「闘う」の部分にジハードの動詞形の三人称複数活用形“yujāhidū"が用いられている。
  2. ^ この論理の典拠としては、コーランの第二章第百九十三節にある『騒擾がすっかりなくなる時まで。宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼等(メッカの多神教徒)を相手に戦いぬけ。』という文言などが挙げられている
  3. ^ クルアーン第2章256節の「宗教に無理強いは禁物」という文言を根拠にしている
  4. ^ コーランの第9章第5節には『だが、(四ヶ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼等が改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい。』という文言、また第9章29節に『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。』という文言があるように、当初多神教徒は死か改宗かを突きつけられた
  5. ^ コーラン第8章15節『信仰する者よ、あなたがたが不信者の進撃に会う時は、決してかれらに背を向けてはならない。』および16節、『その日かれらに背を向ける者は、作戦上または(味方の)軍に合流するための外、必ずアッラーの怒りを被り、その住まいは地獄である。何と悪い帰り所であることよ。』
  6. ^ ジハードにおける献身をたたえ、その忌避を戒めるコーランの章句は、第47章4節、『あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない。』、および第48章16節『あと居残った砂漠のアラブたちに言ってやるがいい。「今にあなたがたは、強大な勇武の民に対して(戦うために)召集されよう。あなたがたが戦い抜くのか、またはかれらが服従するかのいずれかである。だがこの命令に従えば、アッラーは見事な報奨をあなたがたに与えよう。だがもし以前背いたように背き去るならば、かれは痛ましい懲罰であなたがたを処罰されよう。』などもある
  7. ^ 前述の第二章第百九十三節に続く一文『しかしもし向こうが止めたなら、(汝等も)害意を捨てねばならぬぞ、悪心抜き難き者どもだけは別として。』が該当部分である。しかしイスラーム過激派はこれもイスラームの優越に屈服する限りに於いて和平を認めるというものだと解釈する傾向にある
  8. ^ 但し、純粋な形式論の話ではあるが一回の休戦協定は10年以上の効力を有さないとする法学者が多数であり、よって恒久的和平のためには適宜更新が必要である
  9. ^ ジル・ケペル 『ジハード-イスラーム主義の発展と衰退』p540
  10. ^ マーワルディーによると、多神教徒から来る財として戦利品であるファイ(fay‘)とガニーマ(ghanīma)について述べている。ファイはウマイヤ朝カリフウマル2世によってムスリム全体のために保有される征服地の土地として分配不可能な不動産を指し、ガニーマは分配可能な動産を指す。マーワルディーは、うち、ガニーマの種類として、戦争捕虜、敵方の婦女子の捕虜、不動産および動産の4つを上げている。
  11. ^ マーワルディー著『統治の諸規則』「第12章 ファイとガニーマの分配について」(湯川武 訳)慶應義塾大学出版会, 2006年5月 p.312-。『イスラム世界』27・28号, 社団法人日本イスラム協会, 1287.3. p.43-66.
  12. ^ 『統治の諸規則』アル=マーワルディー著、湯川武訳 2006年、pp.324-325
  13. ^ ブハーリー著「真正集」遠征の書、第61章2節。
  14. ^ 「イスラーム教における女性とジェンダー」、ライラ・アハメド著、第5章pp123-125
  15. ^ 東京新聞特報2004年11月1日付け
  16. ^ コーラン第56章10節から24節『(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である。』および56章27節から40節『右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。(かれらは)刺のないスィドラの木、累々と実るタルフ木(の中に住み)、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。愛しい、同じ年配の者。(これらは)右手の仲間のためである。昔の者が大勢いるが、後世の者も多い。』、先頭のものとは最良のムスリム、右手の者とは一般のムスリムのことである
  17. ^ 14歳が自爆テロ未遂、報酬2400円 パレスチナ 少年を勧誘するに当たり、『殉教すれば天国で72人の処女とセックスができる』と説いていた


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