島津豊久 墓所

島津豊久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 22:42 UTC 版)

墓所

大垣市上石津の豊久の墓
天岑(島津豊久)公の墓(日置郡永吉村(現日置市))

通説で戦死した場所といわれる岐阜県大垣市上石津町烏頭坂には、島津忠重揮毫による豊久の石碑がある。また、同町上多良地区にある通称「島津塚」は豊久の墓と伝えられる。

また、現地には豊久の死について異説が伝わっている。一つは、落ち延びてきた豊久一行を村人が拒絶したため豊久は無念の死を遂げ、その祟りのために墓所には草木も生えなくなったという話である。もう一つは全く逆で、必死に豊久を看病する村人に嫌疑がかかるのを忍びなく思い自刃したという話である。

さらに宮崎県佐土原町および鹿児島県日置市[18]の双方にあった天昌寺にも祀られており、佐土原町の天昌寺の過去帳の写しには豊久と一緒に戦死した家来の俗名が35人分記載されている[19]。寺は共に廃寺となったが墓は現存している。

登場作品

書籍
楽曲
ドラマ
映画
漫画

ゲーム

脚注・出典

参考文献

書籍
史料
  • 常山紀談
  • 『惟新公関原御合戦記』
  • 『新編島津氏世録支流系図 家久一流』

外部リンク


注釈

  1. ^ 庄内の乱の顛末を記した『庄内軍記』までは「忠豊」の名で書かれている。
  2. ^ 家久の御兒様が対応したとされる
  3. ^ 長良川沿岸の岐阜市河渡という説あり。
  4. ^ 元禄元年(1688年)に貝原益軒が著した『黒田家譜』の巻之十一には夜討ちの提言があったとする記述がある。

出典

  1. ^ 『伊佐市郷土史誌史料集』一所収「本城家家譜」
  2. ^ 南藤蔓綿録
  3. ^ a b c d e f g h 本藩人物誌
  4. ^ 常山紀談
  5. ^ a b c d 岩川拓夫「「最強イケメン島津豊久」生き方に魅力」『南日本新聞』2016年1月1日、7面。
  6. ^ 宮崎市教育委員会文化財課新名一仁 2017.
  7. ^ 桐野 2010, p. 107-112.
  8. ^ 桐野 2010, p. 234.
  9. ^ 『惟新公関原御合戦記』
  10. ^ 東京大学史料編纂所所蔵『薩藩旧記雑録』、慶応5年。
  11. ^ 桐野 2010, p. 148.
  12. ^ a b 桐野 2010, p. 235.
  13. ^ 桐野作人『さつま人国誌 戦国・近世編』南日本新聞社、2011年、132頁。 
  14. ^ 「永吉島津家文書」一四三号
  15. ^ 島津豊久」 尚古集成館。
  16. ^ “さつま人国誌「島津豊久の最期と埋葬地・下」”. 南日本新聞. (2014年1月13日). http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=5579 
  17. ^ 中沢新一 編『浄のセクソロジー』学研パブリッシング〈南方熊楠コレクション(3)〉、2009年、468頁。 
  18. ^ 天昌寺跡」 日置市観光協会。
  19. ^ 桐野 2010, p. 236.


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