近代主義者
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その後、19世紀のイギリス領インド帝国において、サイイド・アフマド・ハーンのようなイスラム近代主義者たちは、科学への理解を深め、合理性を追求することで、西洋の植民地支配の影響やイスラム勢力の衰退に対処しようとした。彼らはしばしば、シャリーア法を含むいくつかの教義を再解釈し、平等な権利、平和的共存、思想の自由といった近代的な規範を支持した。 サイイド・アフマド・ハーンは、「後に著名な学者であるゴルトツィーエル・イグナーツやジョセフ・シャハトが行ったように、ほとんどの伝統ではなく、多くの伝統の歴史性や信憑性に疑問を呈した」。彼は特にbi al-ma'na(逐語的ではなく物語的感覚)に従った伝承によるハディースの捏造を非難し、ムタワーティル格のハディースのみを「クルアーンとは独立した信頼できる教義上の根拠」として「信じるようになった」。サイイド・アフマド・ハーンは、「伝統的なハディース研究者(muḥaddithūn)は、ハディース本文(matn)の批判を怠っていたという議論」の先駆者の一人である。彼によると、伝統的ハディース研究者ら(muḥaddithūn)はハディース伝承者の「信頼性の検証」における困難性に直面し、ハディースの内容を検証するという作業の段階までは「手が回らなかった」のである。 サイイド・アフマド・ハーンの弟子であるChiragh Aliはさらに突き詰め、ハディースのほとんどすべてが捏造であると指摘した。ムハンマド・イクバールは、ハディースを全面的に否定したわけではないものの、文脈や状況に応じて解釈すべきだと主張し、ハディースの使用に制限を設けた。ムハンマド・イクバールの弟子であるGhulam Ahmed Pervezは、もしハディースが神の啓示(wahy)であるならば、なぜムハンマドや彼の直属の弟子(教友)たちがクルアーンに対してそうしたように「書き留めたり、記憶したり、組織的に収集したり、保存したりしなかったのか」と疑問を投げかけている。 エジプトのムハンマド・タウフィーク・スィドキー(1920年没)は、「ハディースは、不条理な、あるいは捏造された多くの伝承が入り込むのに十分な時間が経過して、ようやく記録され始めた。」という。 ジョナサン・AC・ブラウンによれば、スンニ派のハディースの伝統に対する「最も影響力のある近代主義者の批判」は、エジプトのラシード・リダーの弟子であるMahmoud Abu Rayyaであった。Mahmoud Abu Rayyaは著書『ムハンマド教のスンナに照らしつける光』(Adwa` `ala al-Sunnat al-Muhammadiyya)の中で、イスラム教の基礎は「クルアーン、理性、そして預言者の遺産に関する疑う余地なきムタワーティル格の伝承」のみであると主張し、ムタワーティルでないハディースによって、後述のアブー・フライラのような信頼性のない伝承者が古典ハディース集を汚染していると指摘した。彼もサイイド・アフマド・ハーン同様、ハディースの捏造は、逐語ではなく話の意味や感覚に基づいて伝承されたことに起因するとしている。 他の復興主義者と同様、近代主義者らもクルアーンの優位性を強調した。ハディースの瑕疵を危惧していたサイイド・アフマド・ハーンは、「クルアーンは、預言者に関する情報を比較・検証するための最上の基準である」とした。ラシード・リダーは、それがクルアーンと「確執するもの」として、その伝承経路にかかわらず、ハディースはすべて廃棄されるべきだと主張した。彼に続いて、Taha HusseinやMohammed Hussein Heikalなどの「多くのエジプトの知識人」も、クルアーンはハディースを「無効化」すると主張した。 イスラム法の基礎としてのハディース完全否定 少なくとも一人の近代主義者が唱えたクルアーン優位性の主張は、上述のアハル・カラームの思想によく似ていた。 ムハンマド・タウフィーク・スィドキーは、エジプトの『アル・マナール』誌に掲載された「al-Islam huwa al-Qur'an Wahdahu」(「イスラムとはクルアーンのみ」)という論文で、クルアーンのみで導きとして十分であると主張している。「人間が義務づけられたことは、神の書に記されたこと以上のことではない。...もしクルアーン以外のものが宗教に必要であったならば、預言者はその記録を文書で行うことを命じ、神はその保存を保証したであろう」とスィドキーは指摘している。
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