近代主義への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 08:50 UTC 版)
兵頭は明治維新と同時に示された「五箇条の御誓文」は、現在の目から見ても極めて公正で開明的なものであったが、その後につくられた教育勅語では、「身内」と「他者」をあからさまに区別して、「法の平等」及び他者に対しての「説明責任」、「公的な約束を守る事」を事実上否定していたと評価している。 その「教育勅語で育った世代」が日本の中枢を占めるようになると、長期的な日本の国益や信用、国際条約を守ることよりも、次第に「身内」の利益が優先されるようになり、最終的に「最強の中立国アメリカ」に先制軍事攻撃をしかけ、危うく日本が共産勢力に占領される寸前になるほどの大惨敗を喫したのに、「米英の経済制裁が悪い」、「ユダヤの陰謀」などと都合の悪い事を他者のせいにする意見が多いのは問題だ、と論じている。 今こそ「シナ儒教に基づく不平等な教育勅語」を捨て、五箇条の御誓文の精神に立ち返るべきだと主張している。
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