近代仏教学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 18:09 UTC 版)
近代仏教学は、ヨーロッパ強国による、アジアの植民地支配やオリエント趣味を契機とする。それまで、キリスト教の宣教師により、現地の宗教としてのヒンドゥー教や仏教がヨーロッパに伝えられていたが、キリスト教関係者以外の知識層には知られている物ではなかった。 植民地支配により、官僚や研究者など他の知識人が現地に入るようになり、統治の一環として現地の宗教について調査・研究した結果、比較宗教学や比較文献学、インド哲学と同様に、文献学・史学的アプローチから仏教を研究する、近代仏教学がヨーロッパで成立した。 また、フランスのオリエント趣味による東洋学の一環として漢文仏典が研究されるようになった。 この当時、明治維新で廃仏毀釈、キリスト教の布教自由化を迎え、危機感を抱いた日本の仏教界は、近代仏教への変革を遂げるため、各地に宗門大学を設立、南条文雄を始めとする優秀な宗門後継者を宗費でヨーロッパに留学させ、帰国後に彼らを教授に任命したほか、東京帝国大学にて、ヨーロッパに留学していた高楠順次郎が梵語学講座を、村上専精が印度哲学講座を開講し、近代仏教学を導入した。 その他には、河口慧海や多田等観、青木文教、寺本婉雅、能海寛らが、当時鎖国していたチベットに入り、チベット大蔵経などをもたらした。
※この「近代仏教学」の解説は、「仏教学」の解説の一部です。
「近代仏教学」を含む「仏教学」の記事については、「仏教学」の概要を参照ください。
- 近代仏教学のページへのリンク