近代以前の予報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 22:04 UTC 版)
天気は多くの人々の生計と生活に大きな影響を与えるものであり、古代においてもこのことは今にもまして重要なことであった。およそ数千年の間、人々は一日が、もしくは一つの季節がどのような天気になるか予想しようとしてきた。紀元前650年に、バビロニア人は雲のパターンから天気を予測し、紀元前およそ340年には、アリストテレスが気象学に基づいた天候のパターンを描き出した。中国大陸の民族も少なくとも紀元前300年までに天気を予測していた。 通常、古代の天気予報の方法は、天候のパターンを見つけることに依存していたために全ては経験に頼ったものであった。例えば、日没時に空が際立って赤かったならば、翌日は快晴が予想される、などといった具合にである。この経験は、世代を越えて天気に関する知恵(たとえば諺など、観天望気)を蓄積することとなった。しかしながら、これらの予測全てが信頼できるものだと証明されるとは限らず、また、それら経験に頼った天気予報は後の研究により厳格な統計学的分析に依拠しないものもあるということが判明してきている。 特に漁業者はその業務上、天気予報が必要で、荒れた海に出ると人命を落としたり業務に支障が出る。そのため、毎日ほぼ必ず天気予報をよく見ている。各地に残る日和山(ひよりやま)等の地名は、そこから天気の具合を観察したことによる。
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