近代以前の公用文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 22:20 UTC 版)
「公用文作成の要領」の記事における「近代以前の公用文」の解説
日本では中国から律令制をとりいれて以来、律令を代表とする法令や六国史を代表とする国史などの国が作る正式な文書で使用する文字は真名(漢字)であるとされてきた。平安時代に成立したかな文字はあくまで女子供の使う文字であり、漢字とともにかな文字が使用される漢字かな交じり文はあくまで私的な場面や非公式の場面でのみ使うべきものであって正式な場面で使うべきものではないとされてきた。但しこれらの日本の公式文書で使われていた漢文には中国で使われていた正式な漢文と比べると若干異なる日本独自の習慣も存在する(これらは和臭、和習、倭臭、倭習などと呼ばれ、すでに日本書紀等にも見ることができる)ことから、変体漢文、記録体、疑似漢文・国風漢文・漢文体等と呼ばれることもあった。中世(鎌倉時代から戦国時代)に入ると、律令体制が崩れていったことなどに伴い漢文の修養を十分に受けることができなかった者が法令を書くことがあったり、一般庶民に周知されることを重視した御触書などの一部の法令には漢字仮名交じり文が使用されるなど若干崩れてきた面はあった。近世(江戸時代)に入ると儒学(朱子学)を代表とする漢文を重要視する学問の隆盛に伴って、再び法令をはじめとする正式な公用の文章はあくまで漢文であるとされてきた。
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