仏教内における輪廻思想の否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:45 UTC 版)
「輪廻」の記事における「仏教内における輪廻思想の否定」の解説
一方、現代では「ブッダの教説は輪廻の存在を否定するものである」という主張が主に近代仏教学の学者によってなされ、学者間でその是非についての議論が行われている。 現代日本の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、「ブッダは輪廻の存在を否定した」とする主張が少なくない。このような言説を包括的かつ批判的に扱った学者として松尾宣昭がいる。松尾によれば、「輪廻の否定」には、ブッダが(1)「そもそも輪廻は存在しない、と考えた」という見解と、(2)「人は輪廻に留まるべきではない、と考えた」という見解があり、両方とも輪廻を否定しているものの、その意味内容は全く異なるとする。この二つの考えは二律背反に見えるが、(1')「ブッダは輪廻の存在を否定していたが、当時の人々が輪廻の観念に縛られていたため、仮に是認した」だからこそ(2')「輪廻という想念に留まるべきではないと説いた」として意味を読みかえる場合に、両立する。このような立場を松尾宣昭は「輪廻想念説」と呼び、このような立場を支持する記述はパーリ聖典には見出されず、「修業未完成者は死後輪廻する、ゆえに修行を完成させて輪廻から解脱せよ」という趣旨の、「輪廻は存在しない」という説とは反対の言葉が多く見出されると述べる。一方で、パーリ聖典の「決定的資料性」を否定し、ある種の「仏教の本質」を想定することで、そこから帰結的に輪廻否定が導出されるとする立場もあるとする。松尾によれば和辻哲郎は「仏教の本質」として無我説を用い、自らの輪廻否定説の根拠としているという。さらに「仏教の本質」を後代に明確化された空の教説に見出し、(1)と(2)の両立性を二諦説によって説明する見解もある。松尾によると、空を用いた輪廻否定は、実質的には無我説を用いたものと同じであり、この場合は「龍樹がブッダの真意を説明した」テキストである『中論』を根拠として提示することができると述べている。 輪廻転生を理論的基盤として取り込んだインド社会のカースト差別に反発してインドにおける新仏教運動を主導したビームラーオ・アンベードカルは、独自のパーリ仏典研究の結果、「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得た。この解釈はアンベードカルの死後、インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている。一方で釈迦が死後の世界について述べた内容が釈迦の経典一切経の中に数多く残されているのも事実である。その一つに仏説阿弥陀経がある。
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