仏教全盛時代のペシャーワル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 07:23 UTC 版)
「ペシャーワル」の記事における「仏教全盛時代のペシャーワル」の解説
ペシャーワルが、ガンダーラ地方の中心部を構成するようになったのはクシャーナ朝・カニシカ王の時代である。少なくとも西暦127年に即位したカニシカ王は、ペシャーワルを仏教研究の中心へと発展させた。当時としては最大級の釈迦の遺骨を納めるストゥーパを建設する一方で、ペシャーワル旧市街には、Ganj Gateと呼ばれる門を建設した。 カニシカ王が建設したストゥーパは、アフガニスタンの山々からガンダーラ平原に降り立った人々を大いに驚嘆させる建築物であったと伝えられている。400年ごろ、中国から経典を求めてインドへ旅した僧法顕は、カニシカ王のストゥーパについて記録した。ストゥーパの高さは約120mであり、その美しさは類を見ないものであると記録した。玄奘がペシャーワルを訪問したのは、634年であるが、そのころにはペシャーワルの仏教寺院はかなり荒廃が進んでいたとされる。
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