稲畑勝太郎
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稲畑 勝太郎(いなばた かつたろう、1862年12月21日(文久2年10月30日)[1][2] - 1949年(昭和24年)3月29日[3][4])は、明治・大正・昭和前期の日本の商人(染料薬品商)[2]、実業家、政治家・貴族院議員[5]。稲畑産業株式会社(創業時の名称は稲畑染料店)の創業者であり、染料、染色業界の発展に尽力した。正五位勲三等。カトリック信者であった[5]。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』い138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
- ^ 『稲畑勝太郎』 - コトバンク
- ^ 『稲畑 勝太郎』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 上』イ218頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月15日閲覧。
- ^ [1]「植治の庭」京の維新後の庭造り
- ^ 京都経済同友会「京都・近代化の軌跡 第20回 民間企業の興隆と経済人の活躍(その8)」
- ^ マリー゠エマニュエル・グレゴリー著『長崎の原爆で終わった抑留』、訳・解説:大橋尚泰、えにし書房、2022年、pp.121-122。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』97-98頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』補遺8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
- ^ 『官報』第6672号「叙任及辞令」1949年4月12日。
- ^ 『官報』・付録 1941年11月21日 辞令二
- ^ a b 『官報』第3325号「叙任及辞令」1923年8月29日。
- ^ a b “芦屋平田町に歴史を刻む洋館・稲畑邸 ー 2014年11月号|神戸っ子アーカイブ”. 2020年5月2日閲覧。
- ^ a b c “虚子一族の系図”. www.hototogisu.co.jp. 2020年5月2日閲覧。
- ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』「第一章 松方正義」の項
- 1 稲畑勝太郎とは
- 2 稲畑勝太郎の概要
- 3 栄典
- 4 外部リンク
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