フランソワ=コンスタン・ジレルとは? わかりやすく解説

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フランソワ=コンスタン・ジレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 12:10 UTC 版)

フランソワ=コンスタン・ジレル
生誕 Constant Marie Girel
(1873-12-25) 1873年12月25日
フランスアン県セセル
死没 (1952-02-14) 1952年2月14日(78歳没)
フランスアン県セセル[1]
国籍 フランス

フランソワ=コンスタン・ジレル(François-Constant Girel、1873年 - 1952年)は、フランスの映画技師。

ルイ・リュミエールに雇用され、アレクサンドル・プロミオにわずかに先んじて、各地に派遣される最初期の技師のひとりとなった。

「ドイツに派遣されたフランソワ=コンスタン・ジレルは、移動の便宜のために小船を借り、その船上で撮影もして、眼前を過ぎてゆくライン川の河岸の様子を捉えた。リヨンの新聞は<これはまったく新しい効果をもった眺めであり、ケルンへ向かう小船から撮影されたもので、有名なライン川の河岸を壮大なパノラマとして観ることができる>と記した。[2]

ジレルは、映画の撮影や普及のために世界各地を旅行したが、とりわけロシア日本に出向いたことが特筆される。

オーギュスト・リュミエールとリヨンの理工学校で同級生であった稲畑勝太郎は、リュミエール社からシネマトグラフの装置2台とフィルムを買い入れ、日本における興行権を取得するとともに、技師としてジレルを伴って、1897年に帰国し、日本で最初の映画の上映を実現した[3]。ジレルは日本で映画の撮影もおこない、その多くは現像に不備があって失われたものの、18本の作品がリュミエール社のカタログに記載された[4]

脚注

  1. ^ Relevé généalogique sur Filae
  2. ^ Briselance, Marie-France; Morin, Jean-Claude (2010) (フランス語). Grammaire du cinéma. Paris: Nouveau Monde. p. 44. ISBN 978-2-84736-458-3 
  3. ^ 鴇明浩・水口薫 (1996年9月17日). “京都の初期映画事情(1896-1912)シネマトグラフと稲畑勝太郎”. シネマガジネット!/京都大学. 2022年9月18日閲覧。
  4. ^ 長谷憲一郎「日本における稲畑勝太郎のシネマトグラフ事業再考——新資料「稲畑勝太郎のリュミエール兄弟宛て書簡 4 通(1897 年)」 を中心に (PDF) 」 『映像学』第104号、2020年、 51-72頁、2022年9月18日閲覧。



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