日本での上映と撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 21:08 UTC 版)
「シネマトグラフ」の記事における「日本での上映と撮影」の解説
日本では、実業家の稲畑勝太郎が初めてシネマトグラフを輸入し(稲畑系シネマトグラフ)、1897年2月15日に大阪の南地演舞場で商業上映を始め、その後は京都や東京などでも上映した。それ以前の1896年12月25日には神戸でキネトスコープが初公開されていたが、スクリーン映写式による映画上映は稲畑系シネマトグラフが日本初となった。稲畑以外に吉沢商店もシネマトグラフを入手し(吉沢系シネマトグラフ)、3月9日に横浜の湊座で初上映したが、吉沢系シネマトグラフは模造品の可能性が高いという見方もある。それぞれのシネマトグラフの上映には、装置や上映作品を解説する映画説明者が存在したが、それは活動弁士の先駆けと考えられている。シネマトグラフとほぼ同時期には、ヴァイタスコープも2つの興行系統(荒木系ヴァイタスコープ、新居系ヴァイタスコープ)により上映されていた。そのため1897年初頭の日本では、4つの興行系統がスクリーン映写式映画の上映興行をめぐり競合する状態となった。日本における映画上映の歴史は、こうした外国の映画装置の伝来によって始まった。また、リュミエール社技師のコンスタン・ジレルとガブリエル・ヴェールにより日本国内で撮影も行われており、30本以上の作品が残されている。 シネマトグラフと競合する興行系統の最初の商業上映興行期間興行系統会場興行者1897年2月15日~28日 稲畑系シネマトグラフ 大阪・南地演舞場 稲畑勝太郎 1897年2月22日~24日 荒木系ヴァイタスコープ 大阪・新町演舞場 荒木和一 1897年3月1日~6月5日 稲畑系シネマトグラフ 京都・東向座 稲畑勝太郎 1897年3月6日~22日 新居系ヴァイタスコープ 東京・錦輝館 新居商会 1897年3月8日~28日 稲畑系シネマトグラフ 東京・川上座 横田永之助 1897年3月9日~不明 吉沢系シネマトグラフ 横浜・湊座 吉沢商店
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