日本での不採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 03:03 UTC 版)
欧米では一定の発達を見せた腕木通信システムであったが、日本で導入されることはなかった。 日本では江戸時代中期から米相場などの情報を伝えるために、大型手旗信号の一種である「旗振り通信」が存在しており、1745年時点で少なくとも実用に供されていたことが確認されている。一説には大阪-和歌山間を最速3分、大阪-広島間を27分(別の文献では40分足らず)で伝達できたとされる。 だが、ヨーロッパの通信技術導入が始まった幕末から明治維新期には、すでに欧州の腕木通信システムは前時代の技術となっており、日本は腕木通信を飛び越して電信を導入することになった。 また、初期の電信・電話通信のコスト高を嫌った民間の相場通信需要も、伝統的な旗振り通信で十分に充足されており、固定設備設置・維持の手間が掛かる腕木通信は用いられなかった。結局、日本の視覚通信手段は、長距離電報・電話の通信料金が下がって需要がそちらに移行した1914年から1918年ごろまで、旗振り通信のみに留まった。
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