日本での主なシージャック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 00:42 UTC 版)
「シージャック」の記事における「日本での主なシージャック事件」の解説
1952年7月1日に奄美商船所属の金十丸(かなとまる)が十一名の若者によってシージャックされ、奄美市の龍郷湾から米軍や海上保安庁の追跡を逃れ、鹿児島まで逃げ切る事件が発生した。シージャックをした理由は、十島村の生命線である金十丸が米軍に接収されたまま、十島村が日本に返還され管理も奄美商船が行うこととなり、十島村所属の船がいない状態となったため、十島村の生活を守るためであったという。メディアや世論が大きく取り上げたため、逮捕者が出ることはなかった。 1970年5月12日、広島発今治行きの定期旅客船「ぷりんす号」が警察から追跡されていた男性(当時20歳)にシージャックされたが、一時愛媛県の松山観光港に逃走したのち翌日に広島に戻り、そこで犯人は射殺された(瀬戸内シージャック事件)。
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