川上座
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川上座(かわかみざ)とは、川上音二郎によって1896年(明治29年)6月14日、神田三崎町に開場した劇場である。経営不振によって1898年(明治31年)頃には川上音二郎の所有ではなくなり、1901年(明治43年)1月には改良座と改名された。1903年(明治36年)4月6日、火災によって全焼し、以後再建されなかった。
- ^ 白川(1985)p.212
- ^ 白川(1985)p.384
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- ^ 岡部喜丸1992『東京史跡ガイド①千代田区史跡散歩』学生社p.175-176
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- ^ 鈴木理生1978『明治生まれの町 神田三崎町』青蛙房p.142
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- ^ 白川(1985)p.384
- ^ 白川(1985)p.384、千代田区役所『千代田区史 中巻 』p569
川上座
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詳細は「川上座」を参照 川上座は、川上音二郎によって明治29年(1896年)6月15日に完成した。 内部はフランスの劇場を模しており、他の座とは異なる構造だった。 当初は、神田区淡路町(現在の千代田区神田淡路町)に劇場を設立する予定だったが、中止となり明治26年(1963年)三崎町に設立を願い出て、同年12月1日に許可された。 川上一座などの新派の役者達の活動の中心となったが、経営が困難になり、明治31年(1898年)頃には、川上音二郎の手を離れた。 後、明治34年(1901年)1月に改良座と改称し、株式会社に改組したが、明治36年(1903年)4月6日に火災により焼失した。
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