川上座の建設とは? わかりやすく解説

川上座の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:00 UTC 版)

川上座」の記事における「川上座の建設」の解説

総工費25000円をかけた劇場木造レンガ作り3階建て木造部分ペンキ塗られ上部黄色だった舞台欄間には全体模様彫られていて、その中に『Theatte Kawakami』と英語で記されていた。 従来芝居小屋一線を画すヨーロッパ建築工事難航した上棟式建築許可から約2年後1895年明治28年3月3日行われた高櫓から球灯万国旗吊るし幔幕張り巡らした会場では、立食形式食事振る舞われている。西園寺公望金子堅太郎野村靖磯部四郎らの代理人ほか数百人が列席森田思軒福地桜痴依田學海らが祝辞述べた落成式1896年明治29年6月14日行われ鮫島員規海軍少将奈良原繁沖縄県知事、そして西園寺公望井上勝金子堅太郎代理人など3000人近く招待された。招待客接待には新橋柳橋などの100名あまりの舞妓務めたこけら落し公演7月2日から7月26日まで新狂言日本娘』が上演された。公演チラシには石版摺の俳役の肖像載せ、これも当時としては目新しく評判取った川上座の総坪数212坪。収容定員桟敷席150人、平土間が572人、大入場354となっていて、立見席は設けなかった。そして「川見」「重の井」という2軒の茶屋があった。料金一等席に当たる桟敷席60銭、二等平土間などは30銭、三等三階席は10銭。そして茶屋の手数料は一等15銭、二等10であった。 しかし洋式劇場これまで日本では建てられたことがなく、慣れない中で建設され劇場多く不備抱えることになった。まず冷暖房設備が無いため冬季劇場内の冷え込み厳しかった。また観客席傾斜設けず平らにしてしまったため、肝心舞台が見づらくなってしまった。また窓を小さくして日光入りにくくした結果舞台環境演劇合致しないようになってしまった。そして建物電気容量にも問題抱えていた。

※この「川上座の建設」の解説は、「川上座」の解説の一部です。
「川上座の建設」を含む「川上座」の記事については、「川上座」の概要を参照ください。

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