フリードリヒ・カルクブレンナーとは? わかりやすく解説

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フリードリヒ・カルクブレンナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 19:42 UTC 版)

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ミヒャエル・カルクブレンナーFriedrich Wilhelm Michael Kalkbrenner1785年11月2-8日 - 1849年6月10日[1])は、イングランドフランスで人生の大半を過ごした、ドイツピアニスト作曲家であり、ピアノ教師、またピアノ製造者である。


  1. ^ (Walther Killy 1999), p. 413.
  2. ^ 1831年9月18日にショパンはこう書いている。私はヨーロッパで一番のピアニストのカルクブレンナーと親しい間柄となりました。あなたも彼のことを気に入ることでしょう。(Chopin 1931), p. 152. また1831年12月12日にはショパンはこうも書いているここの宮廷指揮者であるPearを通じて、私はロッシーニケルビーニバイヨ等に出会いました。カルクブレンナーもその一人です。あなたは私がどれほど、エルツ、リスト、ヒラーらに関心を持っているか信じられないかもしれません。 - 「彼らはカルクブレンナーの隣に並べたらいないも同然です」 (Chopin 1931), p. 154.
  3. ^ (Starr 1995), p. 176.
  4. ^ リストはカルクブレンナーの版を真面目に見て、彼の出版社であるブライトコプフ・ウント・ヘルテルにこう書き送った。親切な手紙をお送りくださり、誠にありがとうございます。これまでのところ、私の最も心地よい仕事上の関係は、ドイツで親切にも私の作品の大半を出版してくださったホフマイスター氏以外との間にはありませんでした。ザクセン州における文学と音楽の個人事業に関する法律を知らないものですから、彼に私が編曲を企画したベートーヴェンの交響曲集、より正確に言えばピアノ譜なのですが、の話をしました。なのですが、実のところ、問題が生じています。私は自分の編曲がこれまで発表されている同種のものより、たとえ優れているとは言えないとしても、十分に趣向の異なるものであると考えているのですが、この考えが正しいかどうかという問題です。最近カルクブレンナー氏編曲による同じ交響曲集が出版され、私は自分のものがカタログには残り得ないんではないかと懸念しております。私は楽譜に楽器指定を書き込むのみならず、指番号を指定することにも注意を払い、自分の版をより完全なものとしようと考えています。(Liszt 1894), p. 22. Italics added.
  5. ^ これはおそらくゴットシャルクが最初に言い始めたことだろう。完璧なまでの彼(カルクブレンナー)の作法の優美さ、上品さ、そして才能が彼に社会での成功をもたらした。しかし、彼はその折り紙つきのひどいうぬぼれによって、やがて支持を失ってしまったのだ。 (Gottschalk 2006), p. 220. この意見はショーンバーグによって、100年以上経ってから再び取り上げられた。しかしカルクブレンナーはより表面的な音楽家であり、加えて並外れた虚栄心に満ちたブルジョワ紳士であった。 (Schonberg 1984), p. 118.
  6. ^ マルモンテルはこう記している。カルクブレンナーには、これさえなければ礼儀正しい素晴らしい人物なのにという、もう一つ弱点がある。それは彼は自分を偉い貴族だと考えていることだ。彼の英仏の貴族と親しく付き合う習慣は、彼の第2の天性となっている。彼はそれをさも当然のことのように話すので、こちらは驚いてしまう。 (Marmontel 1878), p. 105.
  7. ^ ハイネは彼のことを泥に落ちたボンボン菓子と呼んだ (Heine 1893), p. 277.
  8. ^ Hyperion recording of Kalkbrenner's 1st & 4th Piano Concerto
  9. ^ Hyperion recording of Kalkbrenner's 2nd & 3rd Piano Concerto
  10. ^ このことはカルクブレンナーを知る、ハイネとヒラーにより十分に記述されている事実である。ドイツの新興階級(Stockfiscke)は「魚の話」のようなものに悩まされており(訳注:新興貴族はcodfish aristocrats、つまり魚のタラの貴族と記述されている)、カルクブレンナー氏のように自らを売り込むことが出来ていない。こういうことで、彼らは彼の優美な表情、彼の賞賛すべき素晴らしい装い、彼の輝きと甘美さ、彼の甘い砂糖ケーキのような外面をうらやむわけであるが、しかし、それは多数の「無意識に出てしまう最下層のベルリン言葉」と不快な軋みを立てるのである・・・。 (Heine 1893), pp. 386-87.
  11. ^ (Marmontel, 1878), p. 238.
  12. ^ (Marmontel 1878), pp. 236-243. マルモンテルはこう記している。彼は息子たちが異なる芸術分野に裁縫を発揮する一方、音楽院の自分のピアノのクラスでの利己的な情熱に身を投じていた。そこで彼は自分自身を形作ってきた過去の偉大な巨匠たちの大いなる伝統、深遠な知識そして論理的によく練られた学習法を守ろうとしたのである。巨匠とはバッハ、モーツァルト、クレメンティである。(Marmontel 1878), p. 239.
  13. ^ (Saint-Saëns 1919), pp. 8–9.
  14. ^ (Weitzmann 1897), pp. 150–51.
  15. ^ (Weitzmann 1897), p. 151.
  16. ^ (Ehrlich 1990), p. 117.
  17. ^ (Weitzmann 1897), pp. 151-52.
  18. ^ (Slonimsky 1958), 関係書物を参照されたし
  19. ^ (Schonberg, 1984) p. 251.
  20. ^ (Schonberg, 1984) p. 251.
  21. ^ (Gottschalk 2006), p. 221.
  22. ^ (Karasowski 1881?), pp. 233-34. 斜体は追加したもの
  23. ^ (Karasowski 1881?), pp. 238-38. 斜体は追加したもの
  24. ^ (Karasowski 1880?), pp. 243-44
  25. ^ ここでいう友人にはメンデルスゾーンや、おそらくリストも同じく含まれるものと思われる
  26. ^ (Karasowski 1881?), pp. 243. 斜体は追加したもの
  27. ^ (Litzmann 1913), p. 209. 斜体は追加したもの
  28. ^ (Heine 1893), pp. 384-85
  29. ^ (Heine 1893), p. 387. 斜体は追加したもの
  30. ^ (Marmontel 1878), pp. 105-06.
  31. ^ (Gottschalk 2006), p. 220. ピアニスト、音楽学者であり、ゴットシャルクの「ピアニストの音符たち」の編集者であったJeanne Behrendが指摘する通り、その演奏会は1845年、ゴットシャルクが16歳の時に行われたものだ
  32. ^ (Gottschalk 2006), pp. 220-21.


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