ハイネ:「泥に落ちたボンボン菓子」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 19:42 UTC 版)
「フリードリヒ・カルクブレンナー」の記事における「ハイネ:「泥に落ちたボンボン菓子」」の解説
ドイツ人の詩人で風刺家のハインリヒ・ハイネはLetters on Music from Paris(1840-1847)の中で、フランスの首都での音楽体験と音楽家についてウィットを効かせて書き記している。カルクブレンナーはハイネの有名な風刺の中で何回か槍玉にあげられている。 カルクブレンナーはこの冬、ある弟子の演奏会に再び姿を現した。彼の口元にはやはり、最近博物館で目にしたあるエジプトのパラオのミイラと同じように、保存処理されたかのような爽やかな微笑みがあった。25年越しにカルクブレンナーは最近ロンドンを訪れ、彼が最初に成功を収めたその地で、偉大な名声の実りを摘み取ってきた。彼が首を折らずに帰ってこれてよかった。これで、カルクブレンナーが長い間イングランドを避けていたのは、そこに二重婚の不貞罪が絞首刑になるという危ない法律がはびこっているからだという、おかしな話をもう信じなくてもよくなった 。Koreffは小奇麗なほど機智に富んだ様子でこう言った。彼は泥の中に落ちてしまったボンボン菓子のようだ、と。
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