ゴットシャルク:天才児(1828年)の父
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「フリードリヒ・カルクブレンナー」の記事における「ゴットシャルク:天才児(1828年)の父」の解説
アメリカ人のピアニスト、作曲家である彼が、故郷のニューオーリンズからパリに来たのは1843年だけであったが、彼がこれを知ることになったのも偶然ではない。ゴットシャルクがパリのサロンで聞いたのであろうその話は、カルクブレンナーの豪快な人物像を語る数ある逸話のうちの一つである。彼は1864年のカナダへの悲惨な演奏旅行の間、ホテルや列車の客室でパリを懐かしみながらこう記した。 「カルクブレンナーには息子がおり、彼はその子を自分の名声を継ぐ者にしたいと願っていた。しかし、息子は子どもの頃こそ天才的な才能を見せたものの、それを捨てて巨大な無能となってしまった。フランスの王宮の前で当時8歳の息子の即興演奏の自慢を吹聴したところ、王がその素晴らしい発想力を耳にしてみたいと所望なさった。子どもはピアノの前に座って数分演奏したが、突然パタリと中断して父親の方を振り返り、無邪気に言ったのだった。「パパ、この先を忘れちゃったよ―」
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