ピエール・ジメルマンとは? わかりやすく解説

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ピエール・ジメルマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/16 06:09 UTC 版)

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ピエール・ジメルマン
Pierre Zimmerman
基本情報
生誕 1785年3月17日
フランス王国 パリ
死没 (1853-10-29) 1853年10月29日(68歳没)
フランス帝国 パリ
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト作曲家、教育者
パリ9区オルレアン広場のアパルトマン。もともとパリ音楽院校長フランソワ・オーペールの持ち家だった。同広場にはショパンも暮らしていた

ピエール=ジョゼフ=ギヨーム・ジメルマン(Pierre-Joseph-Guillaume Zimmermann, 1785年3月17日 - 1853年10月29日)は、フランスピアニスト作曲家、音楽教師。ピエール・ジメルマンジョゼフ・ジメルマンなどの呼称で知られる。

生涯

ジメルマンはパリで、ピアノ製造者の息子として生まれた[1]。彼は1798年からパリ音楽院に通い、フランソワ=アドリアン・ボイエルデューの下でピアノを学んだ。ジメルマンは在学中の1800年にピアノの1等賞[注 1]1802年には和声学でも1等賞を獲得している。彼はその後、ルイジ・ケルビーニの下でさらに研鑽を積む。ジメルマンは1811年に音楽院でピアノの助手、1816年には常勤の教授に任用され、これを1848年まで務めた。一方で、1821年対位法フーガの教授としての声がかかった際には辞退している。彼の門下生にはシャルル・グノー[注 2]ジョルジュ・ビゼーセザール・フランクシャルル=ヴァランタン・アルカンアンブロワーズ・トマルイ・ラコンブアレクサンドル・ゴリアルイ・ルフェビュール=ヴェリーらがいる。グノーはしばしば助手としてジメルマンを補佐した。

ジメルマンは2曲のオペラ『L'enlèvement』(オペラ=コミック、1830年)と『Nausicaa』(上演されず)を作曲した。また、2曲のピアノ協奏曲、1曲のピアノソナタ、多数のピアノ曲を書いている。彼の最大の遺産は『ピアニストの百科事典 Encyclopédie du pianiste』と目される。これはピアノ奏法が完全に網羅され、和声と対位法の論文も付されたものとなっている[2]

ジメルマンはパリに没し、16区のオートゥイユ墓地に埋葬された。

脚注

注釈

  1. ^ この時の2等賞はフリードリヒ・カルクブレンナーであった[2]
  2. ^ グノーはジメルマンの娘の1人と結婚している[2]

出典

  1. ^ Slonimsky, Nicolas (1978). “Zimmerman, Pierre-Joseph-Guillaume”. Baker's Biographical dictionary of musicians. (6th ed.). New York: Schirmer Books. p. 1947. ISBN 0-02-870240-9 
  2. ^ a b c Grove's Dictionary of Music and Musicians, 5th ed., 1951

参考文献

  • Don Randel, The Harvard Biographical Dictionary of Music. Harvard, 1996, p. 1010-1011.

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