800形(初代)→1095 - 1098
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「京急1000形電車 (初代)」の記事における「800形(初代)→1095 - 1098」の解説
1958年に本形式の試作車として800形(初代)のデハ800形・デハ850形の車両形式で4両が製造された。 編成構成は浦賀寄りにデハ800形、品川寄りにデハ850形を連結した2両編成でデハ800形の運転台側にパンタグラフを搭載した。製造当初は当時の流行に倣い、前面が700形(初代)などのように非貫通・2枚窓のいわゆる湘南電車スタイル、600形(初代)全金車とほぼ同形の車体だが、ドア幅が1,200 mmに拡張されている。扉配置がやや運転台寄の前後非対称で、主要機器・性能は700形(初代)と同一。車体幅が量産車に比べて80 mm狭く、貫通路幅が量産車の1,100 mmより狭い1,000 mmとなっていた。 製造時は700形(初代)と同一の補償巻線無し東洋電機製造製TDK-810A主電動機を搭載していたが、1958年末には東洋製補償巻線付きTDK810/3-E(端子電圧375 V、電流225 A、1時間定格出力75 kW、定格回転数1,600 rpm、最弱め界磁率25 %)を搭載し、翌年1月に公開試験を実施した。制御器にも最弱め界磁率25 %に対応するため改造が行われ、名称がACDF-H875-560BからACDF-H875-560Cに変更された。1963年には回生ブレーキの試験に使用されるなど、各種試験のテストベッドとなった。 この4両は1965年(昭和40年)10月に1000形 (1095 - 1098) に改番し、1966年(昭和41年)には主電動機を交換、量産車と性能を揃えた。1968年に前照灯のシールドビーム化と正面に行先・種別表示器、側面に種別表示器を設置、1969年には主制御器を1095編成はACDF-H875-566Aに、1097編成はACDF-H875-703Aに交換。 地下鉄乗り入れ計画があったにも関わらず非貫通型となっていたのは「運転室が広くとれる」、「隙間風が少ない」などの面が乗務員に京急以外でも好まれていたためでもあるが製造当時では法的に問題ないとされていた。 だが地下区間では乗客の避難に支障が出ることとなり基準変更で貫通扉設置が義務となったため1973年(昭和48年)に前面に貫通扉が設置され、内装の張り替え、列車無線アンテナ搭載に伴うパンタグラフ位置の品川方への変更、貫通路幅の拡大および妻面窓の外側への移設、運転台拡張に伴う運転台直後の窓の連結面側へ100 mm移動、内装の全面的張替え、換気装置の首振り扇風機化、主抵抗器の更新などの工事が行われた。 各種更新工事を施したものの、このグループの地下鉄乗り入れは末期でしかなかったといい、冷房改造されずに1988年(昭和63年)1月31日付で廃車となり、1095と1096の機器の一部はデト11・12へ、1097と1098の機器の一部はデチ15・16へそれぞれ転用された。
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