7点の「ひまわり」
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「ひまわり (絵画)」の記事における「7点の「ひまわり」」の解説
7点とも構図はほぼ同様であるが、向日葵の本数は3本、5本、12本、15本と異なっている。画像の列のソートボタンで元の順序に戻る。 画像F番号ひまわりの本数制作時期所蔵参考1 F453 3本 1888年8月 /米/個人蔵(アメリカ) 最初に制作されたと考えられている。 2 F459 5本 1888年8月 /日本/焼失(山本顧彌太旧蔵) 2番目の作品とされる。1920年(大正9年)に実業家の山本顧彌太が、白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼により、スイスにて7万フラン(当時の為替レートで約2万円、現在の価格に換算すると約2億円)で購入した。1921年(大正10年)、東京京橋の星製薬ビルで展覧会が行われている。1920年前後の同ビルでは、多くの芸術展覧会が開かれており、当時の公開においても「ファン・ゴッホのひまわり」が評判の作品として扱われていたことが分かる。1924年(大正13年)、大阪で通算3回目の展覧会が開かれたが、美術館設立の構想が頓挫したため、以降、兵庫県芦屋市の山本の自宅に飾られていたが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍の空襲(阪神大空襲)を受けて焼失した。2003年(平成15年)に兵庫県立美術館で開催された「ゴッホ展」において「芦屋のひまわり」というテーマで特集された。大塚国際美術館が原寸大の陶板で本作を再現し、2014年(平成26年)10月1日から展示している。 3 F456 12本 1888年8月 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン) 3番目の作品とされる。 4 F454 15本 1888年8月 ナショナル・ギャラリー(ロンドン) ファン・ゴッホ自身が気に入った「12本のひまわり」(ミュンヘン作品)をもとに制作した4番目の作品とされる。 5 F457 15本 1888年12月-1889年1月 /日本/SOMPO美術館(東京) 1888年12月の「耳切り事件」直前に描かれたとする説もある。1987年3月に安田火災海上(現損害保険ジャパン)が、ロンドンのクリスティーズで2250万ポンド(当時の為替レートで約53億円)で落札した(最終的な購入金額は手数料込みで約58億円)。当時の代表取締役であった後藤康男がバブル期とはいえ無理をして購入を推進した理由は、先々代の社長時代から世界的な名画が不在であった東郷青児美術館(現SOMPO美術館)の入館者が少なすぎる事が社内で問題視されていたからである。1997年(平成9年)10月に英紙『サンデー・タイムズ』の報道で、エミール・シェフネッケルによる模作であるとする疑惑が持たれたが、1999年(平成11年)の研究調査によりゴッホの真筆と断定された。以降も贋作説が囁かれたものの、ゴッホ美術館の学芸員・修復技官らが再度調査を行った結果、やはり真筆であると報告されている。 6 F458 15本 1889年1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム) ファン・ゴッホが病院から「黄色い家」に戻って、東京作品を模写したものと考えられている。振動や気温・湿度の変化による損傷を避けるため、館外への貸し出しを禁じる措置がとられている。 7 F455 12本 1889年1月 /米/フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア) アムステルダム作品と同時期に、ミュンヘン作品を模写したものとされる。
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