スイスにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 11:25 UTC 版)
「オードリー・ヘプバーン」の記事における「スイスにて」の解説
クリスマス、食べることの出来なかったヘプバーンはみんなのディナーの後で苦労して2階から降りてきて、友人や家族にクリスマスプレゼントを渡した。ヘプバーンは買い物に出かけられないため、これまで持っていたスカーフ、セーター、ロウソクなどから一人一人に選んだものであったが、皆が感動した。そのあとヘプバーンはサム・レヴェンソンの「時の試練によって磨かれる美」の一部を息子のショーンとルカのために読んでいる。ロバート・ウォルダーズはヘプバーンが超人的な勇気を奮い起こして、ウォルダーズと子供達がヘプバーンを失うことに耐えられるよう助けようとしていると感じたという。ウォルダーズは、その夜ヘプバーンが暗闇のベッドの中で「今年のクリスマスが今までで一番幸せだったわ」という声が、今も耳に残っている、と語っている。 スイスの自宅では、ヘプバーンは家族や友人に付き添ってもらって毎日庭に出て20分散歩するのが精神的な支えであったが、塀越しに隠し撮りしたり、ヘリコプターで上空からどこまでも追いかけてくるパパラッチのために諦めないといけないことがあった。ジバンシィがパリから来た時にも一緒に庭を散歩したが、10歩ごとに立ち止まって休まなくてはならなかった。ヘプバーンは最後の贈り物としてキルトのコートを買い、ジバンシィが帰り際にヘプバーンはそのうちのネイビー・ブルーのコートを贈った。軽く口づけし、「これを着たらわたしのことを思い出してね」と小声で言いながらジバンシィに渡した。1月17日にヘプバーンは最後の散歩をしている。ヘプバーンは死の2、3日前まで「わたしのために笑って」とウォルダーズに言っていた。 病が進行するにつれて次第に長い時間を眠って過ごすようになり、最後の2日間はいっときに数分以上起きていられなかったという。そして1993年1月20日の午後7時、ヘプバーンはスイスのトロシュナ(Tolochenaz)の自宅で、がんのために息を引き取った。 ヘプバーンの葬儀は、1993年1月24日にトロシュナの教会で執り行われた。ヘプバーンとメル・ファーラーの結婚式で牧師を務め、1960年に生まれた二人の息子ショーンの洗礼も担当したモーリス・アインディグエルがこの葬儀を取り仕切った。ユニセフからはサドルッディン・アガ・カーン皇太子(Prince Sadruddin Aga Khan)が弔辞を述べ、高官たちがこの葬儀に加わっている。家族や友人、知人としては、ヘプバーンの息子たちや共に暮らしていたロバート・ウォルダース、異父兄イアン・クアレス・ファン・ユフォルト、元夫のアンドレア・ドッティとメル・ファーラー、ユベール・ド・ジバンシィ、アラン・ドロン、ロジャー・ムーアらが参列した。また、グレゴリー・ペック、エリザベス・テイラー、オランダ王室からは献花が届けられた。葬儀の後、ショーンが挨拶に立った。最後のクリスマスにヘプバーンが読んだサム・レヴェンソンの「時の試練によって磨かれる美」を読んだ後、最後に庭を散歩した時のことを語っている。「庭師のジョバンニがやって来てこう言いました。『奥様、よくおなりになったら枝を刈り込んだり花を植えたりするのを手伝ってくださいまし。』母はにっこり笑って答えました。『ジョバンニ、お手伝いするわ……でもこれまでとは違うやり方でね』」そしてヘプバーンはトロシュナを一望できる小高い丘の小さな墓地に埋葬された。
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