モンドラゴンM1908その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:19 UTC 版)
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スイスにて量産が始まり、1908年には400丁がメキシコに納入されたモンドラゴンM1908であったが、複雑な機関部を保有する半自動小銃はそれだけ生産にコストが高くついた。 メキシコ政府は当初すべての兵士にこの銃を装備させる計画であったが財政を圧迫する本銃の購入を渋り、当時起こったメキシコ革命(1910年~1940年)も重なり注文した数を購入しないままメキシコ政府は本銃の購入を一方的にキャンセルしてしまった。金銭的にメキシコ政府から何も保証を受けていなかったSIG社は多くのモンドラゴンM1908を不良在庫として抱え生産を停止、財政的に苦境に立たされることとなった。焦りをみせたSIG社は急遽、残ったモンドラゴンM1908を世界各国に売り込みを始めたが、高価格と半自動小銃に対しての各国の関心の薄さからセールスは困難を極め、少数ずつが研究目的に買われるのみであった。 唯一の大口としてはドイツ帝国が航空兵の自衛用にと3600丁を購入し、Fliegerselbstlader Karabiner 1915(1915年式航空兵向け自動装填式騎兵銃)として採用して30発ドラムマガジンと共に運用したのみだったが、この用途も戦闘機が発明されると航空兵の装備からは外され、海軍兵向けなどの二線級火器とされた。
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