ユベール・ド・ジバンシィ
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ユベール・ジャム・マルセル・タファン・ド・ジバンシィ伯爵(Le comte Hubert James Marcel Taffin de Givenchy、1927年2月20日[2] – 2018年3月10日[3])は、フランスのファッションデザイナー。1952年にジバンシィを設立した。オードリー・ヘプバーンの個人的及び専門的なワードローブの多くやジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディの服をデザインしていたことで有名。1970年にInternational Best Dressed Listに殿堂入りした[4]。
- ^ a b Mohrt, Françoise. The Givenchy Style. Assouline, 1998. ISBN 2-84323-107-8, p. 204.
- ^ a b “Le couturier Hubert de Givenchy est mort à l'âge de 91 ans” (French). Le Monde (2018年3月12日). 2021年4月閲覧。
- ^ a b “'Little black dress' designer Givenchy dies aged 91”. Yahoo News Australia (2018年3月13日). 2018年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月12日閲覧。
- ^ Zilkha, Bettina (2004). Ultimate Style – The Best of the Best Dressed List. pp. 116. ISBN 2-84323-513-8
- ^ a b c ユベール・ド・ジバンシィ - FMD
- ^ a b c d e f g h i j k l Hubert de Givenchy: 'It was always my dream to be a dress designer', The Independent, 7 June 2010
- ^ a b c d e f g h i j k l Connie Roff, Who's Who: Hubert de Givenchy, Vogue, 11 November 2011
- ^ Jougla VI, 256, numéro 32324.
- ^ New York Times,Hubert de Givenchy Dies at 91; Fashion Pillar of Romantic Elegance, by Eric Wilson, March 12 2018
- ^ (fr)Encyclopedie.picardie.fr, Givenchy, Hubert de
- ^ a b c d Rose-Mary Turk, Givenchy : For 36 years, He Has Reigned as a Prince of Fashion; an Unusual Retrospective in L.A. Will Show Why, The Los Angeles Times, 28 October 1988
- ^ Working on a tight budget, Givenchy served up the floor-length skirts and country chic blouses in raw white cotton materials normally reserved for fittings. French fashion designer Hubert de Givenchy has died at the age of 91, News Corp Australia Network, March 13, 2018
- ^ a b c d e f g Ashifa Kassam, Hubert de Givenchy needled by collapse of haute couture, The Guardian, 22 October 2014
- ^ a b c Mary M. Lane, Hubert de Givenchy Remembers Audrey Hepburn, The Wall Street Journal, 4 September 2012
- ^ History of the house
- ^ a b Lauren Milligan, Hubert De Givenchy On Fashion Today, Vogue, 20 October 2014
- ^ Vogue (15 February 1966)
- ^ The iconic Givenchy balloon coat
- ^ The 'baby doll' dress Archived 24 November 2015 at the Wayback Machine.
- ^ Givenchy Gentleman: prêt-à-porter for men Archived 24 November 2015 at the Wayback Machine.
- ^ Pat McColl, Fashion 89 : Givenchy and Valentino Add Final Touch, The Los Angeles Times, 27 January 1989
- ^ Vogue, Clare Waight Keller Is Givenchy’s New Artistic Director, March 16, 2017 by Nicole Phelps
- ^ Christie's: Empire, mise en scène par Monsieur Hubert de Givenchy
- ^ Thyssen-Bornemisza Museum: Hubert de Givenchy
- ^ GGG.at: Modeschöpfer Hubert de Givenchy ist tot (german)
- ^ “Givenchy, French fashion icon, dies aged 91”. BBC News (2018年3月12日). 2021年4月閲覧。
- ^ Wilsher, Kim (2018年3月12日). “Hubert de Givenchy, maker of style icons, dies aged 91”. The Guardian. 2021年4月閲覧。
- ^ “Hubert de Givenchy, Pillar of Romantic Elegance in Fashion, Dies at 91”. The New York Times (2018年3月12日). 2018年3月12日閲覧。
- ^ Fashionista website. Retrieved 14 March 2018.
- ^ “French fashion icon Givenchy dies” (英語). BBC News. (2018年3月12日) 2018年11月29日閲覧。
- 1 ユベール・ド・ジバンシィとは
- 2 ユベール・ド・ジバンシィの概要
- 3 書誌情報
- 4 外部リンク
ユベール・ド・ジバンシィ
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「オードリー・ヘプバーン」の記事における「ユベール・ド・ジバンシィ」の解説
ヘプバーンのイメージを作りあげたのは、ファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィがデザインした洋服だった。ジバンシィがヘプバーンのドレスを最初にデザインしたのは、1954年の映画『麗しのサブリナ』からである。衣装はイーディス・ヘッドの担当だったが、監督のビリー・ワイルダーは、パリで美しく変貌を遂げたサブリナの衣装は、パリのマネキンが着るような最新モードであるべきだと考え、ジバンシィのサロンで自分で直接買い付けるようヘプバーンをフランスに送り出した。 パラマウントの関係者から、「ヘプバーン」という女優が今パリに来ており、次の映画で使う衣装を探していると言われたジバンシィは、その名前から、憧れの大女優キャサリン・ヘプバーンだと思い込み、大喜びでアポイントメントを受けた。そのためオードリーと初めて顔を合わせたジバンシィは失望し、秋冬コレクション前で空いている時間がほとんどないため衣装を新たに作る時間はないとヘプバーンに答えている。それでもジバンシィは「すでにある服を試して衣装としてふさわしいならなんとかなるかもしれません」と答えた。ヘプバーンはそれを受け入れ、1953年春夏コレクションの中から最終的に3つのドレスとそれに合わせた帽子を選びだし、パリ・コレクションの一流モデルに合わせて作られたドレス(ウエスト50.8cm)を着こなしてみせた。その後もヘプバーンは彼がデザインした多くの洋服を着こなし、そのファッションスタイルはジバンシィの名とともに世界的に高く評価されることになっていった。二人の友情と協力関係はヘプバーンが死去するまで続いた。 後年、ジバンシィはヘプバーンから「あなたの作ってくれたブラウスやスーツを着ていると、服が私を守ってくれている気がするわ」と言われて感激したと話している。ジバンシィは『麗しのサブリナ』以降も『パリの恋人』、『昼下りの情事』、『ティファニーで朝食を』、『パリで一緒に』、『シャレード』、『おしゃれ泥棒』、『華麗なる相続人』、『おしゃれ泥棒2』でヘプバーンの衣装を担当した。また、ジバンシィはヘプバーンとの35年にわたる交友で「彼女(ヘプバーン)の身体のサイズは、1インチとして変わらない」と述べている。ジバンシィはヘプバーンの生涯を通じての友人、理解者であり、ヘプバーンはジバンシィにとって芸術の女神ミューズだった。また、ジバンシィは「ランテルディ」という香水をヘプバーンのために調合している。
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