除染に伴う廃棄物の行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 16:16 UTC 版)
「セベソ事故」の記事における「除染に伴う廃棄物の行方」の解説
除染作業により、防護服やプラント内部に残留していた化学物質など大量の廃棄物が生じた。これらは放射性廃棄物用のドラム缶に封印され、法的手続きに則って処理されるはずであった。 1982年春、Mannesmann Italiana社はAゾーンからの廃棄物を処理する契約を請け負った。9月9日、41バレルの有毒性廃棄物がICMESA社から運び出された。12月13日、公証人は廃棄物が適切に処理されたことを宣言した。しかし1983年2月、スイスのテレビ局Télévision Suisse Romandeは「A bon entendeur」という番組内で、フランス北部でこれらの廃棄物が行方不明となっていることを報じた。5月19日、41バレルの廃棄物がフランス北部のAnguilcourt-le-Sart村にあった、旧屠畜場で発見されたため、フランス軍基地へと移送された。ジボダン社のさらに親会社であるロシュ社が、廃棄物を処理する責任を負うことを表明し、11月25日、同社が全廃棄物をスイスにて焼却処分したことを公表した。事故から既に9年が経過していた。廃棄物に含まれる高濃度の塩素によって焼却炉が傷んでいる可能性を指摘した科学者もいたが、ロシュ社は十分な修理を行ったと説明している。
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