スイスのフィニッシングスクール
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「フィニッシングスクール」の記事における「スイスのフィニッシングスクール」の解説
フィニッシングスクールの本場といえばスイスである。おもにヨーロッパ社交界においてのデビュタントや貴族階級同士の婚姻をする前に、王侯貴族の子女や資産家・財閥などの良家の子女の為の教育機関として確固とした歴史を刻んできた。授業の内容は主に、国際的・公式な外交・社交の場で必要とされる国際儀礼=プロトコールと呼ばれるインターナショナルでハイ・クラスなマナー・エチケット・礼儀作法などや語学、歴史、芸術などの教養など多岐にわたる。また乗馬や狩猟などといった男性的でユニークな実技指導をしている学校もある。 狭義のボーディングスクールと同様に寄宿学校・全寮制のフィニッシング・スクールは、スイス以外の国にはほとんど存在しない。スイスの永世中立国としての長い歴史がこうしたスクールの成立や発展に寄与した大きな要因の一つと思われる。 また、かつて19世紀後半ごろまでは、ヨーロッパ各国の王侯貴族の子女、資産家・財閥の令嬢などが主な入学者の対象であったが、20世紀に入ると、経済的にも大きく成長した、貴族階級のないアメリカ合衆国で成功した資産家の令嬢も、多く入学するようになる。また、1970年代以降になると、経済的にも成功したハリウッド映画界の俳優や女優の子女たちや、ビルボードのランキングを賑わしたロック・スターなど、世界的なミュージシャンやアーティストなど、芸能人の子女たちがこぞって、スイスの名門スクールに入学することがブームとなった。また、時を同じく、それまで経済的にも貧しかった中東の国々の中で、原油産出国家として経済的な成功を収めた、サウジアラビア王国やアラブ首長国連邦などの中東の石油王の子女たちや、貿易などで巨額の富を得た、香港やシンガポール、インドなどの貿易商人の子女などのアジア系の入学者も時代と共に増えていった。日本においては、1980年代前後において、経済的な成功を収めた資産家の令嬢などが、国際化の波に乗り、あえてスイスのフィニッシング・スクールに入学した日本人子女も多い。 しかし、近年では、女性の社会進出と共に、入学する子女の減少化に伴い、閉校したスクールも多く、「フィニッシング・スクール」として開校した歴史ある学校であっても、全寮制の「ボーディング・スクール」として共学化したりと、時代の流れと共に、学校存続のために改革・変化していった学校も数多い。 ヴィラ・ピエールフー(英語版)(Institut Villa Pierrefeu)- 1954年創立校長:ヴィヴィアン=ネリ・ファイエタス 所属団体:スイス連邦プライベートスクール協会(Swiss Federation of Private Schools)メンバー 基本カリキュラム:英語、フランス語、国際エチケット、料理、ハウスキーピング、フラワーアレンジメントなど。オプション:美術史、ワインの基礎知識、社交ダンス、乗馬など。 スルヴァル・モンフルリ(Surval Mont-Fleuri)校長:ジャン・ピエール・フォーケ 所属団体:スイス連邦プライベートスクール協会所属のフィニッシングスクールである他、CITA(Commission of International and Trans-Regional Accreditation)認証の高校卒業資格や、COE(Commission Executive Committee of the Council on Occupational Education)認証の大学卒業資格(経営学士)も提供する、世界でも珍しいフィニッシングスクール。 特長:現在、スイスではこのスルヴァル1校のみ「通年の寄宿制」を採っている。サマーコースなど短期の寄宿制などを例外にすれば、一年を通して宿泊しながら学べるのはここしかない。近年、ヴィラ・ピエールフーとプログラムの互換を開始。スルヴァルの方が主として語学教育(フランス語・英語)、ヴィラ・ピエルーフーの方が主としてフィニッシング教育を担っている。両方の生徒はスルヴァルに滞在しながら、シャトルバスで5分ほどの両校を行き来している。 フィニッシングスクールMontreux le mesnil Institute
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