贋作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 05:35 UTC 版)
「プラエネステのフィーブラ」の記事における「贋作説」の解説
ヘルビヒが正確な出土地を明らかにしなかったこともあり、プラエネステのフィーブラには19世紀以来疑いの目が向けられていた。1975年にカリフォルニア大学バークレー校の古典学者アーサー・E・ゴードンがプラエネステのフィーブラの真贋に関する研究を発表した。1980年にローマ大学の考古学者・古文字学者であるマルゲリータ・グァルドゥッチ(Margherita Guarducci)が学際的な研究を行い、プラエネステのフィーブラを当時の古物商であったフランチェスコ・マルティネッティによる贋作であり、刻文はヘルビヒ本人によるものと結論づけた。グァルドゥッチによれば、古いものに見せかけるために、フィーブラを酸で処理した跡が見られた。ゴードンもグァルドゥッチ説に賛成した。 しかし、これで決着がついたわけではなかった。古代の金属加工の専門家のエディルベルト・フォルミリは、1992年に再検討を行い、フィーブラを紀元前のものと考えても無理がないこと、酸による処理は古く見せかけるためではなく、出土時に汚れを取るために行った可能性もあることなど、1980年とは逆の結論を下した。2011年にピゴリーニ国立先史民族博物館では新たな科学的調査によって、フィーブラが紀元前7世紀前半のものであると結論づけた。
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