贋金の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 23:55 UTC 版)
和同開珎が発行された翌年には、私鋳の禁止令が出されて和同開珎の銀貨が廃止されており、当初から銀貨の贋金が問題となっていた。蓄銭叙位令が出たのちには、叙位法の影響で昇進するための私鋳や、貨幣発行益を目的とする私鋳の増加が予想されたことから、私鋳銭の罰則が流刑から斬刑(死刑)へと重くなった。 江戸時代には、金銀貨などの偽造は死刑の中でも重罪の扱いだった。藩札の偽造については初期は流刑であったが、のちに幕府の刑法に準じて重罪に扱われるようになった。初の紙幣と言われる江戸時代の羽書は、発行から間もなく偽札が作られていた。明治時代に入ると藩札の偽造に加えて、寺社領札や私札、太政官札の偽造も行われ、太政官札の偽造は全国12カ所で摘発された。 昭和時代に日中戦争が起きると、日本軍は国民党政府の通貨である法幣を排除するために偽札発行を計画した。陸軍の登戸研究所が中心となり、印刷会社や製紙会社などが極秘で参加した。偽造された5円券や10円券は上海の秘密結社である青幇の協力もあって大陸で使用され、一説には25億円分が流通したと言われる。しかし、中国のインフレーションにより1000円や5000円などの高額紙幣が発行されて、偽造紙幣は小額だったために計画した効果をあげなかった。 印刷技術の変化にともない、偽造技術も変化を続けている。オフセット印刷による偽造からカラーコピーに移ったのちに、スキャナーとプリンターによる偽造が増えた。2000年以降の日本の偽札は98パーセントがパソコンを使ったものとなっている。
※この「贋金の歴史」の解説は、「日本の貨幣史」の解説の一部です。
「贋金の歴史」を含む「日本の貨幣史」の記事については、「日本の貨幣史」の概要を参照ください。
- 贋金の歴史のページへのリンク