贖宥状とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:27 UTC 版)
「レオ10世による贖宥状」の記事における「贖宥状とは」の解説
現世における神の代理者である聖職者への告解によって、神の赦しが与えられる。 人は死後、煉獄で焼かれ、魂の純化を待つ 贖宥状を買う農民の女。 15世紀に贖宥状を批判して火あぶりにされたフス。 ローマ教会が最初に贖宥状を発行したのは第1回十字軍のときだったとされている。教会は聖地解放の従軍者を集めるため、この戦いに加わった兵士には特別なメリットがあるといって贖宥状を発行した。まもなく、女性や高齢者、病人など自分が直接従軍できない者でも、軍費を負担するならば同じような贖宥が得られるということになった。 こうした贖宥状の売上は教皇の財庫に集められ、十字軍が実施されるときにそこからの支出が認められていた。十字軍が下火になったあとは、100年に1度のヨベルの年にだけ発行が認められることになった。これが当たると「ヨベルの年」は50年に1度ということになり、そのうちキリストの生涯と同じ33年に1度になり、さらに「普通の人間はキリストより弱いのだから」といって25年に1度になり、どんどん間隔が短くなっていった。1476年にシクストゥス4世が売りに出して以降、贖宥状は安易な集金手段として頻繁に発行されるようになった。
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