贖宥状に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:27 UTC 版)
「レオ10世による贖宥状」の記事における「贖宥状に対する批判」の解説
こうした贖宥状を疑問視する声は昔からあった。そうした批判者のなかで特に有力だった者としてジョン・ウィクリフ(1320?-1384)、その弟子ヤン・フス(1369?-1415)らがいる。しかしフスは贖宥状以外にもさまざまな教会批判を行った結果、火あぶりにされてしまった。フスの場合、教会大分裂といって教皇を自称する3人の人物が鼎立してお互いに争っていた時期で、その中の1人ヨハネス23世が相手の教皇を倒すための戦費を募った贖宥状をフスが批判したのだった。まもなくヨハネス23世自身が公会議によって異端とされて全ての権威を否定されることになったのだが、フスはそのまま異端として取り扱われたのだった。
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