18世紀末の技術革新
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「帆船時代の海戦戦術」の記事における「18世紀末の技術革新」の解説
1793年のフランス革命戦争の勃発までに、アメリカ独立戦争中に導入されたいくつかの技術革新が組み合わされ、イギリス艦隊はフランスやスペインの海軍に対しはっきりした優位を獲得した。その革新とは、次のようなものである。 カロネード砲 カロネード砲は砲身が短く重い砲丸を発射できるもので、スコットランドの製鋼所カロン社が1778年に開発した。カロネード砲はそれまでの長身砲の半分の重さで重い砲弾を一定距離以上飛ばすことができた。近距離では速度が速く、貫通力も高かった。「スマッシャー (Smasher)」とも呼ばれ、カロネード砲を装備した船は接近戦でいかんなく長所を発揮できた。従来の製造技術では、砲弾の大きさの精度が悪く砲身の内径を削り出すのも難しかったため、通常は内径と砲丸の間に遊隙と呼ばれる4分の1インチとも言われる隙間があり発射効率が悪かった。しかし、カロン社が導入した製造技術により遊隙が小さくなり、少ない火薬で砲弾を効率よく発射できるようになり、大砲の軽量化・小型化ができるようになった。従来の砲より軽量化されているため、船の帆走性能には影響を与えずに火力をあげることができた。そのためフリゲートや戦列艦などの船首上甲板や後甲板には多く積まれた。欠点は射程距離が通常の長砲に比較して著しく短い(約360m)ことで、近距離専門の補助火砲として扱われていた。 フリントロック式 大砲から砲弾を射出するに際し、火薬に点火するために火打ち石を用いる方式は、サー・チャールズ・ダグラスによって提案され、アメリカ独立戦争でそれまでの火縄による点火方式に代わるものとして導入された。火打ち石は火付きがよく確度が高いので、砲手長は適切な発砲のタイミングを選ぶことが可能になった。これは艦船とともに上下に角度が変わる砲にとっては命中率の増加を意味した。これ以前のイギリス海軍では、七年戦争当時に、それ以前の方法に比べればほとんど瞬間的な着火が可能な、火薬をつめた鵞鳥の羽軸を使用していた。 広い射界 砲を留めるロープを砲門からできるだけ遠くに付けるという簡単な方法で、イギリスの砲術革新家サー・チャールズ・ダグラス艦長は砲の可動範囲を拡げ、射界を広くした。この新しいシステムは1780年のセインツの海戦で、イギリス軍の「デューク」「フォーミダブル」「アローガント」やその他の軍艦で試みられた。 銅製被覆 木造船に共通する問題として、長期間の航海を行う場合などにフジツボやエボシガイのような付着性の底生動物が船体へ付着して海水の抵抗を増大させて航行速度を低下させたり、フナクイムシのような木材穿孔性の底生動物が船体の構造材を侵食して強度を低下させたりする問題があった。多くの試行錯誤を経て、これを防止するには、銅板による船体の被覆が最適な手段であるとわかってきた。銅製被覆はこうした底生動物の船体への付着を遅らせ、ドックから長く離れている船体の帆走性能を改善した。これは戦略的にも戦術的にも大きな改善であった。1780年までに、イギリスは長く海上にとどめられている自国の軍艦より、「クリーン」なフランス艦の方が速度が速く、望むときには戦いを避けることができることに気付いていた。銅製被覆の導入により、海上封鎖などで何ヶ月も海上にある船でも、港を出てきたばかりの敵船に劣らないスピードを維持することができるようになった。
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