18世紀前半:ピョートル大帝による教会統制策とは? わかりやすく解説

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18世紀前半:ピョートル大帝による教会統制策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)

ロシア正教会の歴史」の記事における「18世紀前半:ピョートル大帝による教会統制策」の解説

ピョートル1世在位1682年 - 1725年以降ロマノフ朝皇帝ロシア正教会国教として保護する一方でさらに厳重な統制下に置くようになるピョートル1世西欧へ窓口および首都として1703年サンクトペテルブルク建設したことにもみられるようにロシア西欧化目指していたが、それは教会例外ではなかった。 1701年ピョートル1世修道院省を設置して教会領を統括不穏な空気流れることを察したツァーリ修道士執筆禁止した同年教区聖職者に対して新たな義務課した教区警護消防刑務所見張り助産婦監視捨て子防止のため)等であった1708年には痛悔告解)の内容に反国家的な言動があった場合司祭国家報告するよう秘密の勅令義務付けられた。違反した司祭には罰金科せられた。また、多く修道院領が国庫没収された。 総主教庁にも例外なくツァーリ改革の手及んだ1700年アドリアン総主教永眠後には後任総主教選出することを許されなかった。1721年にはモスクワ総主教庁正式に廃止され英国国教会ドイツプロテスタント教会制度倣い皇帝権力コントロールの下に置かれ聖務会院設置された。その総裁には俗人任命された。総裁制度1726年から1741年まで一時的に中断したものの、エリザヴェータ女帝復活させ、以降1917年総主教制の復活まで、ロシア正教会総主教座空位のままとなり、時には軍人無神論者就任する総裁管轄下に置かれることとなったこうした痛悔機密世俗国家対す通報義務、および聖務会院制度は、正教会教会法違反するものであった1721年にはウクライナ人キエフ出身F.プロコポーヴィチが作成した草案基づいて宗務規定』が定められツァーリ首長確認教会対す国家官吏に近い役割義務付け修道士統制古儀式派への抑圧などが規定された。 また、ピョートル1世好んでウクライナ人登用した。1700年から1762年までの間の127人の高位聖職者のうち70人がウクライナ人ベラルーシ人で、ロシア人47人に過ぎず、あとはギリシャ人ルーマニア人セルビア人などであったウクライナ影響が強まることは必然的にカトリック影響の強いキエフ・モギラ・アカデミーにみられるような同地からの西欧的な影響が強まることに帰結しロシア正教会西欧化ラテン語偏重著しく進んだとされる。 なおこの時代古儀式派からはピョートル1世は「アンチキリスト」と忌み嫌われツァーリによる弾圧終末論的認識広まりとが相俟って古儀式派集団焼身自殺多発した一説には17世紀末までの焼身自殺者数は9千人以後歴史含めれば総数2万人にも及ぶという。 世俗権力による総主教制の廃止教会統制、および司祭に反国家的言動についての通報義務付けが行われたことは、著しく正教会教会法反するものであり、正教会伝統を捻じ曲げたとされる西欧化合わせ後代正教会からこの時代ロマノフ朝施策激しく論難されるものとなっている。ピョートル1世についての評価正教会からは著しく低い。 また、ピョートル1世により教会行政整備成ったが、ピョートル在任中に出した勅令宣言協定規約指令認可状等の数は実に約3000にも及んだこうした朝令暮改は、国民国家遵法精神法治精神が育つことを妨げるものであったともされる。したがってこうした教会機構整備とそれに関する法令数々教会法違反であるにとどまらず教会安定にすら繋がらないものであった。 この時代精神的救済求め人々は、各地長老達に教えを請うようになっていった。

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