18世紀前半のアジア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:00 UTC 版)
「近世から近代にかけての世界の一体化」の記事における「18世紀前半のアジア」の解説
産業革命以前のヨーロッパの海外活動は、アフリカ沿岸部、南北アメリカ、東南アジアなどの地域を植民地としていたが、清帝国、オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国などのアジア専制国家群に対しては、各国の特産品を買い付け、ヨーロッパに運び、利益を得る貿易活動に中心を置いていた。そのため、特産物を生み出すアジア各地の伝統文化や社会を尊重し、これを破壊することはむしろ避けていた。 ヨーロッパ勢力が海からアジアに進出したといっても、インド綿布や宝石、イランの絹織物や絨毯のように、海路を通じてではなく内陸アジアの遊牧民を経由して各地に運ばれたものもあり、18世紀前半までのヨーロッパは、こうしたアジア内部の交易に、ようやく外側から参画していたにすぎなかった。しかし、1765年、ブクサールの戦いでインド連合軍に勝利したイギリス東インド会社が、ムガル朝皇帝シャー・アーラム2世からベンガル、ビハール、オリッサの地租徴税権を獲得するとインドの植民地化が急速に進展し、拡大するヨーロッパ経済への従属を強めていった。
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