18世紀:折衷的「合理主義」
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「自由主義神学」の記事における「18世紀:折衷的「合理主義」」の解説
1750年頃から西ヨーロッパにおいて、キリスト教で(西方教会におけるカトリック教会・聖公会・プロテスタントの別を問わず)伝統的に捉えられてきた天地創造、および様々な出来事に及ぶ神の摂理といった解釈に対して決別するという「合理主義」の潮流が、大陸系プロテスタントの中に生じた。なお、これらの潮流を指す「合理主義」は、自称ではなく、他者からの呼び名である。 この時の潮流は、教会に対する反発といった所に原因はない。1760年代にカトリック教会を「抑圧」「反動」として非難した(カトリック信徒の)ヴォルテールとは異なり、当時のプロテスタントにおいては教会・牧師達は重んじられ、腐敗が非難されるといった事態は生じていなかった。 18世紀の「合理主義」は、宗教改革と哲学者の多様な観念の折衷を目指したものであった。これは伝統的解釈との訣別といった面において「一種の反乱」とも評価されることがある。 ただし18世紀の「合理主義」は、諸科学がまだ黎明期にあり、化学は未成熟で、生殖作用のプロセスも殆ど知られていなかったこともあり、伝統的概念に代わる新たな体系を提示する事は出来なかった。
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