F-86F(1960年→1981年)
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「ブルーインパルス」の記事における「F-86F(1960年→1981年)」の解説
詳細は「F-86 (戦闘機)」を参照 初代機体F-86Fは、航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である。使用機体は全機改修にて取得されており、ブルーインパルス向けとして新造された機体は存在しない。原則として浜松基地に配備されていた機体の中から以下の条件がそろった機体を選び出し改修していた。 飛行特性が良い 大きな事故歴がない 故障率が低い オーバーGを経験していない 射撃精度が低い 主な改修点は、後部胴体にある燃料タンクのスモークオイル(発煙油)タンクへの転用、スモーク発生装置のエンジンノズル後方への設置で、一部の計器の配置変更や置き換えも行われている。スモークオイルのタンク容量は105ガロンで、約50分の連続発煙が可能であった。 しかし、この改造に伴い、本来は飛行に使用する燃料の搭載量が少なくなった。ドロップタンク(増槽)を装備しない場合のF-86F許容G(重力加速度)は7.0Gであるのに対し、ドロップタンクを装備した場合はドロップタンク内の燃料が空でも許容Gは5.5G、燃料満載時には許容Gは5.0Gで、演目によっては許容Gに余裕がなくなる。このため、当初はドロップタンクを外した「クリーン形態」で展示飛行や訓練を行なっていた。しかし、展示飛行の課目の増加に伴って燃料タンクの容量不足が問題化、1966年(昭和41年)頃からは安全上の見地からドロップタンクを常時装着することとなった。 機体の塗装は、当初は通常塗装(無塗装)機が使用されていた が、第1航空団の部内で募集されたデザイン案の中から、1961年(昭和36年)に金属の地肌に青とピンクとライトブルーの斜めストライプを配した専用デザインが施された。なお、編隊長機のみ青の部分を金色としていた。ピンクやライトブルーの部分は褪色が激しく、白色に近い状態となったため、後から追加改修された機体ではこの部分の色を濃くして対応した。その後、1963年(昭和38年)頃にチーム内で塗装案を検討し、東宝映画『今日もわれ大空にあり』への撮影協力をきっかけに、東宝デザイナーが協力することになった。1963年10月には92-7872号機が試験塗装を施され、これを手直しして1963年11月に正式に新塗装が決定した。 所属期間は機体によってまちまちで、1年程度しか使用されなかった機体もあれば、解散までのほぼ全期間を通じて使用された機体もある。使用された計34機の内、1981年(昭和56年)の最終飛行時まで在籍していたのは9機、ブルーインパルス所属のまま事故で失われたのは4機。後者の内1機はブルーインパルスとは関係のない学生訓練中に発生した空中接触事故で失われている。この34機の中には米軍からの供与機も含まれており、それらの機体は用途廃止後に米軍に返還されている。一部は無人標的機QF-86Fに改造され、空中標的として使用された。最後まで使用された機体の1機である02-7960号機は用途廃止後もしばらく動態保存状態に置かれ、1985年(昭和60年)11月16日の浜松基地航空祭にてタキシングを披露したが、半年後ブレーキ系統に不具合が生じたため地上展示専用となった。
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F-86F
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02-7960号機と02-7966号機が浜松広報館に保存されている。また、ブルーインパルスに所属した履歴のある12-7995号機が浜松基地北門前にモニュメントとして保存されているが、記入されているシリアルナンバーは既にスクラップとなっている92-7929号機のものである。河口湖自動車博物館にも個人収蔵のブルーインパルス塗装02-7960号機が展示されているが、前記の通り本物の02-7960号機は浜松広報館に館内展示されており、河口湖自動車博物館の機体の本来のシリアルナンバーは02-7962である。
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