鴻臚館跡とは? わかりやすく解説

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鴻臚館跡

名称: 鴻臚館跡
ふりがな こうろかんあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 福岡市
管理団体
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 鴻臚館跡は、福岡市中央部史跡福岡城跡地内中央東部の平和台野球場跡を中心とする地域所在する古代において外国からの賓客をもてなすための客館施設遺跡である。鴻臚館は、平安時代平安京難波筑紫の3箇所設置され宿泊饗応施設で、筑紫施設は、7世紀末から奈良時代にかけて大宰府において客館として使われていた筑紫館さかのぼといわれる
筑紫の鴻臚館所在地については、博多地域にあったとされていたが、大正15年(1926)中山平次郎福岡城説を提起して以来福岡城内説が支持されてきた。しかし、当地域は近世福岡城近代の陸軍関連施設建設破壊を受け、遺構残っていないものと考えられていた。
昭和62年198712月平和台野球場外野席改修工事に伴う発掘調査により、鴻臚館跡の存在想定させる布掘り柱穴列の検出大量輸入陶磁器類が出土した。そのため、福岡市教育委員会により、昭和63年度から鴻臚館跡の全容解明のための調査実施された。調査は、福岡城跡全域実施されその結果、鴻臚館跡の中心施設野球場南側テニスコート一帯広がることが確認された。
遺構は、出土土器等から大きく5期変遷経ていることが確認されている。第1期7世紀後半代の遺構で、南側では掘立柱建物跡2棟を含む遺構検出され北側では掘立柱建物跡とそれを囲む柱穴列及び石垣検出した第2期8世紀前半代の遺構南側では、方形区画され、門を伴い柱穴列をもつ布掘り遺構と、その南西側所在する便所遺構3基が、また大規模な濠を挟んで北側には南側同様に方形区画され東側に門を伴う柱穴列をもつ布掘り遺構と濠に面した大規模な石垣検出されている。第3期遺構8世紀後半から9世紀前半にかけてであり、礎石建物跡が数棟と土坑確認されている。第4期9世紀後半から10世紀前半第5期10世紀後半から11世紀前半であるが、ともに建物遺構等は削平等により確認されていない遺物は、多量瓦類のほか、中国越州窯青磁長沙窯系青磁イスラム陶器新羅陶器などの輸入陶磁器類、挂甲小札、鏃形金製品、砂金などが出土したまた、南側第2期便所遺構から多数木簡出土した大部分付札で「肥後国天草郡志記里」、「京都郡庸米六斗」など大宰府管内地名書かれているが、1点だけ「讃岐国三木郡」のものがある。多くは、米、、鹿など食料関したもので、客館での饗応関わるものと思われる。なお、11世紀中頃焼土層が確認され白磁碗が出土していることから、鴻臚館終焉11世紀中頃であることが発掘調査から確認されている。
このように3期にわたる建物遺構変遷布掘り遺構を伴う官衙建物群や史料記載されている「鴻臚北館」の存在想定させる遺構検出濃密な交流実態を示す多種多量輸入陶磁器出土付札等の木簡出土などいずれも遺跡筑紫の客館であったことを裏付けるのに十分なのである
このように我が国古代において外国賓客をもてなすのに使用した「客館」を発掘調査した結果遺構変遷規模出土遺物から時期等が確認されたことは、我が国対外交流歴史及びその実態を考え上で貴重であり、史跡として指定し保護図ろうとするものである



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