高階姓の高氏とは? わかりやすく解説

高階姓の高氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 04:44 UTC 版)

高氏」の記事における「高階姓の高氏」の解説

天武天皇尼子娘皇子高市皇子系統高階氏一族で、八幡太郎義家家人高階惟章が義家三男源義国とともに地方下って下野国住んだことにはじまる。以来高氏称して、義国の子足利氏執事となる。ただし、「高」は一般的な苗字ではなく、氏#家の名称としての「氏」である「高階朝臣」の略であるため、発音する時は「こう」ではなく「こうの」と読む。 南北朝時代現われ高師直は、足利尊氏執事として仕え一方で建武の新政においては尊氏代理として雑訴決断所一員務めるなど、頭角あらわした室町幕府成立後は、政治面では兄弟の師泰や一族の師冬とともに幕府要職占め軍事面では北畠顕家楠木正行討ち取り吉野攻め込んで南朝崩壊寸前にまで追い込んだ。しかし次第傲慢になったため、尊氏の弟の足利直義対立起こした観応の擾乱)。師直・師泰兄弟は、一時上杉重能政敵抹殺し直義失脚追い込むものの、南朝降伏した直義巻き返し遭い摂津打出浜の戦いにおいて一戦する惨敗した。そして、降伏した師直・師泰兄弟は京への護送中に摂津国武庫川付近上杉能憲(重能の養子の手勢によって殺害されてしまったのである。この時犠牲となったのは師直兄弟のみならず師夏(師直の子)・師世(師泰の子)・師幸・師兼など一族大半含まれ全滅した関東勢力誇っていた師冬もこれに前後して直義の上顕に敗れて自害しており、高氏一族有力者多くここで失ったのである。 ただし、一族のなかでは師直従兄にあたる高師秋・師有父子一説によると本来の高氏嫡流とされる)や、師直と師泰の弟重茂など直義方に属し生き残った者もいた。特に師有は関東において畠山国清没落後、短期間ではあるが関東管領就任していることが確認される。また高師英(師有の子)は京に戻り山城守護、佐渡守護を歴任した。しかしこれを最後に高氏守護任命は後を絶った。師英の孫・師長佐渡守補任幕府運動しているが、却下されている。師有以降関東管領上杉氏世襲となったが、子孫代々鎌倉公方古河公方仕えた初代喜連川藩主・喜連川頼氏家臣高氏師(大和守)や、喜連川騒動に関わった高四郎左衛門その末裔思われるまた、師泰の孫にあたる師秀が生き延び高氏血統後世まで伝えた室町時代末期に至るまで、将軍親衛隊にあたる奉公衆に、高一族の名が見られる足利義輝とともに永禄の変討ち死にした家臣中に高師宣がおり、足利義昭が鞆に逃れた後にも、高五郎次郎が従っていたことが伝わっている。 高氏一族としては、大高氏だいこうし、大高重成など)、彦部氏岡松氏、大多和氏太田原氏、南氏南宗継など)、秋里氏などがある。また、安芸毛利氏家臣国司氏一族国司元相、親相らが著名)は、師泰の三男・師武の子孫であるという。 高氏嫡流は、江戸時代に至るまで苗字を名乗らなかった。亀田俊和は、高氏足利氏鎌倉時代以来執事家の出身であり、鎌倉(あるいは京都)に常駐していたため「土地との結びつき希薄であった可能性述べている。苗字多くは、居住地所領由来するからである。

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