高速鉄道の時代、ドイツ再統一から民営化、そして現在まで (Epoche 5)
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「ドイツの鉄道史」の記事における「高速鉄道の時代、ドイツ再統一から民営化、そして現在まで (Epoche 5)」の解説
1989年の冷戦終結とベルリンの壁崩壊を受け、1990年にはドイツ再統一が実現した。ただし、鉄道の運営については統合されず、従来の「ドイツ連邦鉄道 (DB)」と「ドイツ国営鉄道 (DR)」の並存状態、即ち、一つの国に2つの国鉄が存在することとなった。これは、西ドイツ国鉄の改革が、統一前から検討されていたことであり、東西ドイツ統一によって、鉄道再建の枠組みの再検討が必要となったからだとされている。鉄道再建のためには、まず、旧西ドイツ側と比べて大きく遅れている、旧東ドイツ側の鉄道の水準を引き上げることが急務となった。 そうした中で、1991年、ICEが営業運転を開始した。高速新線を最高速度280km/h(通常は250km/h)で走行し、ドイツの鉄道に新たな時代が到来したことを象徴する出来事となった。その後も高速鉄道網は拡大している。 1994年1月1日、「ドイツ連邦鉄道 (DB)」と「ドイツ国営鉄道 (DR)」は統合の上で民営化(株は全て政府が保有)され、「ドイツ鉄道株式会社」(DBAG: Deutsche Bahn AG) が発足した。さらに「上下分離」「オープンアクセス」制度が導入され、競争原理によるサービスアップが期待された。1999年には持株会社制となり、長距離鉄道運営会社、地域鉄道運営会社、貨物鉄道運営会社、駅運営会社、線路・インフラ保有会社のように、組織毎に分割され現在に至っている。民営化後は、ICE網の拡大や新型車両の投入を積極的に進めるようになった。 民営化により、一時は経営的に大幅な改善が見られたが、技術的には数多くの混乱が発生し、車両の不具合や故障などが多発することとなった。また、民間企業となったことで、より一層の合理化が進められることとなり、一部では乗客の不満が増大した。そのほか、以前は非常に正確なダイヤを特徴としていたにもかかわらず、近年は列車の遅れが多発している。そんな中で1998年には、ICEの脱線転覆で多数の死傷者を出す大事故を起こし、世界の鉄道関係者に多大なる衝撃を与えたと同時に、猛烈な批判にさらされることともなってしまった。 現在のドイツ鉄道は、依然として経営は苦しく、国内の輸送シェアも小さい。しかし、ヨーロッパの鉄道においては「なくてはならない」存在であり、EUなどが推進する高速鉄道網を担うキープレイヤーとしての役割も期待されている。近年の環境重視政策も、鉄道にとっては「追い風」となっている。 今後の課題の一つとしては、政府が100%保有する株式をいつ公開して「完全民営化」するか、ということがあるが、そのためには経営状態の改善が前提であり、経営状態が決して芳しくない状況下では、その前途は不透明である。加えて、機関士の労働組合「GDL」(Gewerkschaft Deutscher Lokomotivführer) によるストライキの実行などの理由で、更なる鉄道離れが起こる可能性がある。また、日本同様、ドイツでも少子高齢化や労働人口減少、自動車や格安航空会社への転移などによる「鉄道離れ」がじわじわと進んでおり、鉄道を社会の中にどのように位置づけるかという問題にも直面している。
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