騒動収束後の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 22:21 UTC 版)
1993年11月には、石神井川にかかる加賀緑橋の袂にアルミニウム製のカモの記念碑が完成した。騒動を教訓に、「魚や水鳥が安心して住める空間を」との願いを込め、「やすらぎの水辺」と名付けられた。同11月13日に除幕式が行われ、板橋区長である石塚輝雄ら関係者80人が出席した。当初はカモに矢の刺さった姿を再現した像とする案もあったが、あまりに痛々しいとの意見から退けられ、普通のカモが空へ飛び立つ姿の像となった。建立には、板橋区が総費用960万円をかけた。像の台座部分には騒動の顛末と、動物愛護推進を謳う一文が刻まれている。地元では、動物愛護の啓発のためとおおむね好評であった。その一方では、税金をここまで費やすことに疑問を唱える声、動物愛護のシンボルにするのは安直といった否定的な声もあった。 同11月には、漫画家の畑田国男が会長を務める「日本三大協会」が「1993年日本3大ニュース大賞」を発表し、「銀賞 愛の3橋」として「レインボーブリッジ、矢ガモの加賀緑橋、マディソン郡の橋」を選定した。 矢ガモの保護と治療、野生復帰の一連の仕事を担当した上野動物園の「矢負いのオナガガモ救出グループ」は、長年にわたる動物飼育の経験と知識をいかした矢ガモの保護と治療、野生への放逐により都民の期待に応え、都政の評価を高めたとして、同年の知事表彰に選ばれた。 翌1994年(平成6年)2月、情報誌「ぴあ」主催による、映画や音楽など各ジャンルごとに最も印象に残ったものを選ぶ「ぴあテン93」では、「矢ガモ」に2791票が投じられた。これは最も票数の多い「ワールドカップサッカー最終予選」(3288票)に次ぐ票数であり、そのワールドカップで人気を博した「中山雅史」(2511票)を上回る票数であった。 2019年(平成31年・令和元年)、元号が矢ガモ事件当時の平成から令和へ変わるにあたっては、平成時代に印象を残した事件、平成時代に話題となった動物ニュースとして、この「矢ガモ」が挙げられている。 なお、このカモが放された時には、渡り鳥の鳥類標識調査のため、上野動物園により標識としてカモの右足に金属製の足輪がつけられた。カモ類は10月に日本に飛来し、越冬後に故郷のシベリア方面に帰ることから、このカモも同様に北方へ飛び立ったと見られている。毎年の越冬地には同じ場所を選ぶことが多いことから、不忍池にこのカモが帰って来ている可能性も示唆されたが、その後、この足輪を付けたオナガガモは確認されていない。 令和期以降では、2020年(令和2年)7月に、兵庫県宝塚市でクロスボウにより一家4人を殺傷する宝塚ボーガン殺傷事件が発生しており、矢ガモを射るのに用いられた武器もクロスボウであることと絡めて、レジャー用の小型クロスボウはインターネットの通信販売での入手も容易であり、所持の許可も不要であることが問題視する声も挙がっている。
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