騒動前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 03:13 UTC 版)
宇和島藩は、慶長19年(1614年)に伊達政宗の庶長子伊達秀宗が伊予に10万石を与えられて成立した藩である。政宗は秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、重臣として藩を運営させた。その中で山家清兵衛公頼が筆頭家老として実質的に藩政を執った。初期の宇和島藩の課題は藩の支配体制を確立することであったが、宇和島は豊臣政権の時代から領主家が頻繁に入れ替わったため領内は疲弊しており、藩は早くから財政難に見舞われた。そのため、秀宗は父政宗から6万両を借り入れた。その返済は寛永12年(1635年)まで続き、初期の宇和島藩にとって大きな負担となった。 また、元和5年(1619年)には大坂城の石垣修復普請を請け負ったことから、藩の運営を巡り山家清兵衛と桜田玄蕃元親が対立を起こす。しかし、山家清兵衛は政宗から信任が厚かったことから、秀宗は清兵衛を疎んじて桜田玄蕃を重用し、清兵衛は謹慎する。それ以前にも、反清兵衛派は清兵衛暗殺を企てて、秀宗生母・龍泉院の七回忌の法要にて、当時法要の責任者だった清兵衛を茶坊主を使って毒殺しようとしたが、これは未遂に終わっている。
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