香港の反応
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この事件に対して最も早く反応したのは、当時イギリスの植民地であるものの、その住人の大半が華僑で、中華人民共和国への「返還」を8年後に控えた香港である。このような非民主主義的な行為をする中国共産党に対して、抗議デモが起こった。 1989年6月5日には、香港のほぼすべての学校や企業、政府機関が公式に譴責・哀悼を行っている。たとえば学校では、小学校なども含め校長や教師が泣きじゃくりながら声明を読み上げ、学生を率いて黙祷をしている。テレビやラジオ、新聞、雑誌などのメディアもこれを報道している。おそらく中国共産党に打撃を与えるためか、6月5日の早朝に、香港全土にある中国銀行グループの各銀行から、一日のうちに50億香港ドルが引き出されている。また後述のように香港市民に海外移住者が増え、香港企業も海外に本社を移転する動きも出た。 同日に香港の議会が、武力鎮圧に対する譴責を全会一致で採択。その宣言は中国への「返還」後の今でも撤回しておらず有効であり、香港と中国共産党の基本的な政治思想の差を示している。なお、事件を契機に、香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)が結成され、今なお中華圏最大の民主化運動組織として活動しており、1997年に香港がイギリスより中国へ返還後も、同組織によって事件で犠牲になった学生らを悼む集会が、毎年香港島のヴィクトリアパークで開催、2007年6月4日には5万5千人の参加者を集めた。2012年6月4日、約18万人の参加者を集めて歴年の記録を破った。 また、この事件を受けて、香港人のイギリス・カナダ・オーストラリアなどのイギリス連邦諸国や、アメリカ合衆国などへの移住ブームに火がついた。その後、宗主国のイギリスと中華人民共和国の間で結ばれた「返還後50年間は現状維持」という一国二制度により、政治的に安定していた香港を評価して、多くの移民が香港に戻った。 だがこの事件は、1997年以降の香港憲法にあたる、香港基本法の起草委員の多くが委員を辞退したことや、「全国人民代表大会」の香港代表が「六四事件が香港の人々の心を大きく傷つけた」と発言したことなどが象徴するような、現在の香港人の中国共産党に対する不信感の原点とも言われる。この影響で2008年の北京オリンピックの聖火リレーでも中国共産党への抗議活動が起きている。 また事件当日から6日にかけて明報や新晩報(英語版)などの香港メディアは情報が錯綜したことから、「軍同士の衝突が起きた」、「鄧小平氏の死亡」などの様々な未確認情報を報道した。 なお、香港では2020年9月の新学期以降の高校の必修教科書から、天安門事件など中国共産党にとって都合の悪い項目が削除されることになった。これは一国二制度に基づき、自由と民主主義が根付いている香港の歴史と文化を否定することで、中国共産党の価値観を植え付けて香港の若者が反政府活動に傾く土壌を排除する思惑があるとみられる。
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