香港の大公報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 22:43 UTC 版)
イギリスの植民地であった香港ではその後も「大公報」の発刊が続いた。1952年には、三・一事件(1951年に起きた大火事が発端となり、1952年3月1日に香港の民衆と警察が衝突した事件)に際して「大公報」は中国側が出した香港当局を批判する声明をほぼそのまま載せたことから、香港当局により一時停刊処分が下された。文革に至るまでの香港版「大公報」の性質について、『《大公報》百年史』は「愛国報」「左派」「左報」と評している。
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