霊長類学者として
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兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)出身。半世紀以上にわたってサルを研究。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化の謎をつきとめ、人類の未来を探ることに生涯を捧げ、2016年には「日本及びアフリカにおける霊長類の野外研究―とくに環境適応と社会形成の研究」で学士院エジンバラ公賞受賞。その他、朝日賞、NHK放送文化賞、紫綬褒章などを受賞。 幼少期より多くの動物と接し、のちに宮崎県幸島にてニホンザルの文化的行動を発見。今西錦司門下で日本モンキーセンター設立に関わる。日本モンキーセンターによる類人猿学術調査隊は1958年から1960年にかけて3回の調査を行っているが、その最初の調査対象はゴリラだった。河合は1958年、同センターの設立当初の研究員として第2次ゴリラ学術調査隊に参加した。 河合のニホンザルの研究は、アフリカの霊長類の野外調査の基礎となったばかりではなく、霊長類の文化行動研究の基盤ともなり、霊長類の順位の研究の基礎を築いた。またニホンザルの芋洗い行動や小麦の砂金採集方などの文化行動を発見し研究分析を行った。またその文化が社会的に伝承されていくことなどを発見し、そのメカニズムを解明。サルから人間への進化をフリードリヒ・エンゲルスの説いたような「労働起源説」ではなく「遊び起源説」で説いた。1973年5月からの約1年間にわたるアフリカ・エチオピアでのゲラダヒヒを調査した成果が著書『人類進化のかくれ里』である。また、ゲラダヒヒに関しては、立花隆との対談集『サル学の現在』において、音声コミュニケーションや交尾の際、雄雌ともに大声を上げたり、人間同様に前戯も行うことなどそのユニークな行動について語られている。その中で、ゲラダヒヒの調査は驚きの連続であり、それまで考えていたサル社会の秩序についての常識が、次々に崩された思いだと述べている。 基礎研究に弱いとされる日本の学問にあって、サル学は世界的に大変優れた成果を上げている分野であるが、河合の業績はとりわけ高く評価されている。かつて河合はサル学の研究動機について、「戦争が終わってみて、何で人間はこんなバカげたことをするんだろうと思った。こんなことをする人間の人間性というものを、もう一度その大本にまで立ち返って、探ってみようと思った。そのためには、サルまで立ち返って人間性の根源をしらべにゃならんと思った」と述べている。すなわち、その研究動機の根源にあるものは人間に対する深い関心である。1994年1月号の『科学朝日』誌上で立花隆らと対談、「人間も本来は自然の一部なのに反自然的存在になってしまった。そこが他の生物と決定的に違う」と発言した。 2021年5月14日11時47分、老衰のため兵庫県丹波篠山市の自宅で死去。97歳没。死没日をもって従四位に叙される。
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