電卓の登場 - 1960年代前半
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「電卓」の記事における「電卓の登場 - 1960年代前半」の解説
1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。電卓は、1970年頃までは主に企業向けに販売された。1970年頃から激化した電卓戦争により価格が急激に下落し、個人でも手にすることのできる製品となった。 1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(en)/英 Bell Punch and Sumlock-Comptometer(en)Mark8は真空管式の電卓。日本のメーカー数社はこれを輸入し分解・研究した。他にブラウン管表示のFriden(en) EC-130がありそちらはトランジスタ。 1964年 - 日本の電卓元年。以下、特記あるものを除き、どれも(表示管などを除き)オールトランジスタである。早川電機(現シャープ)がCS-10Aを3月に発表、6月に535,000円で発売した。これは当時の普及していた電動の機械式計算機が50万円台であり部長クラスの権限で決裁できる上限でもあったため、大きさと価格の目安となった。開発チームは安価なラジオ用のトランジスタを用いるなど工夫を重ねたものの、50万円を超えてしまった。しかし一割引(実売価格)なら50万を切るので目標達成ということになった。テンキー式ではなく各桁毎に1~9の数字が並ぶフルキー方式だった。また、まだ試作品であったがソニーが MD-5 を新聞発表したのはCS-10Aのそれと同日であった。なお、ソニーが「Sobax」として市場投入したのは1967年であった。 同年5月のビジネスシヨウではキヤノンと大井電気(これは前述のパラメトロン式)も展示している。 キヤノンには社内にレンズの光学計算という需要があった。前年に試作機を完成し、展示会で好評のため商品化に踏み切り、64年秋からCanola 130を販売した。同機は販売された電卓としては初となるテンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。 前述の大井電気のパラメトロン式計算機は1964年4月から販売された。高価格(80万円)で消費電力が大きい(300W)という問題もあり、3号モデルまで改良されたが撤退した。 1965年 - カシオも電卓に参入、カシオ001型を9月に発売、380,000円。同社のリレー式計算機と同様の定数機能を持っており、電卓では初。カシオは「究極のリレー式」と言えるようなモデルの開発を進めていたが、同年5月に代理店を集めて発表した際の代理店担当者の失望を見て、急遽試作中の電子計算機を見せ、切り替えを決断。3箇月で電子式を完成させ製品化した。 1966年7月 - 日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)、Busicom 161発売。記憶にトランジスタを直接使うのではなく、コアメモリを採用することで298,000円の価格設定に成功。価格の安さで大ヒット商品となり、たちまち電卓市場の10%のシェアを確保するが、三菱電機のダイオードの供給によって制限がかかり、それ以上シェアが伸びなかった。電卓市場に価格破壊の第1波をもたらす。ビジコンは電卓の風雲児として名をはせることになった。その後も洗練されたポータブルなポケット電卓を登場させたり、インテルのマイクロプロセッサ4004の開発にも関わるなど、異彩を放った。
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