離道と中央詩壇への登場
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定年退職前年の1971年(昭和46年)に『定本鷲巣繁男詩集』を国文社で刊行。同書は、既刊詩集に未刊の「マルキオン:ダニール・ワシリースキーの書 第弐」「わが心の中のカテドラル:ダニール・ワシリースキーの書 第参」を加え、さらに俳句、漢詩、後序「狂気と竪琴:わが招魂」を付した大冊。附録には寺田透、澁澤龍彦、高橋睦郎、澤村光博が文を寄せた。同書の刊行には北海道出身で東京在住の草薙実の尽力があった。同詩集は第10回歴程賞を受賞。同年、笠井叡『天使論』(現代思潮社)の註作成に種村季弘とともに協力。翌年、埼玉県与野市に転居し、以後、旺盛な執筆活動を行う。1972年(昭和47年)『鷲巣繁男詩集』を思潮社「現代詩文庫」で刊行。解説は渋沢孝輔、高橋睦郎。試論集『呪法と変容』を竹内書店で刊行。現代詩文庫の『多田智満子詩集』に解説「クロノスの戯れ」を寄稿。1973年(昭和43年)『戯論:〈メディアム加藤郁乎〉あるいは詩をめぐっての逍遥游』を薔薇十字社で刊行。1974年(昭和49年)『短歌』誌上に長篇随想「詩歌逍遙游」連載開始。編集長秋山実の慫慂による。1975年(昭和50年)『記憶の書:ダニール・ワシリースキーの書 第肆』を思潮社から刊行。装幀は高橋睦郎。同年『えうゐ:ロシア文学と思想』が北海道大学文学部ロシア文学研究室から創刊され、タイトルロゴを揮毫。1976年(昭和51年)第10詩集『歎きの歌:ダニエルの黙示 第一之書』を書肆林檎屋から、評論集『狂気と竪琴』を小沢書店から、小説集『路傍の神』を冥草舎からそれぞれ刊行。多田智満子、高橋睦郎と同人誌「饗宴」を創刊。版元は書肆林檎屋。発行人吉野史門。同年、『日本読書新聞』(11月29日号)で小川国夫と「キリスト教における聖と俗」と題して対談。1977年(昭和52年)、『短歌』に連載した、古今東西の詩歌を巡る長篇随想を『記憶の泉:詩歌逍遙游 第一』『聖なるものとその変容:詩歌逍遙游 第二』『ポエーシスの途:詩歌逍遙游 第三』の3分冊で牧神社より刊行。同年、与野から大宮に転居。『現代詩手帖』9月号で「詩と人間存在の意味」と題して高橋睦郎と対談。『短歌』12月号で「鷲巣繁男の世界」と題して、高橋睦郎、多田智満子と鼎談。
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