阪神・淡路大震災による被害
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「大開駅」の記事における「阪神・淡路大震災による被害」の解説
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、当駅は甚大な被害を受けた。駅部延長120mにわたって設置されている中間柱35本のうち、31本は完全に破壊され、残り4本は破壊寸前の状態となった。これにより天井板が崩壊してM字型に折れ曲がり、直上の国道28号も大きく陥没した。なお、東二見発阪急三宮行き特急(山陽5000系6両編成)は地震発生寸前に駅を通過しており難を逃れた。 佐藤工業の設計・施工にて復旧工事が行われることとなった。崩壊部分については、健全な床下板と軌道のみを流用し、それ以外の設備はいったん撤去して再構築することとなった。2月から鉄道施設耐震構造検討委員会への復旧計画提出と設計を始め、4月下旬からは撤去作業が開始された。6月上旬には、撤去完了した区域から再構築作業が開始され、7月29日までに1層部(駅ホーム部)の最後の躯体コンクリートが打設された。 設計は、鉄道施設耐震構造検討委員会による「阪神・淡路大震災に伴う鉄道復旧構造物の設計に関する特別仕様」に基づき、今回の地震の際にポートアイランド地下83mで観測された波形(679ガル)により行われた。中間柱に過大な荷重を受け、コンクリートにひび割れや表面剥離を生じても、主鉄筋の大きな変形を拘束して破壊に至らないように対策を講じた。具体的には、中間柱は角型鋼管にコンクリートを充填した合成鋼管柱とし、側壁や上床板は鉄筋量を旧構造物比50%増としている。 1層部の施工完了後、建築限界車による社内検査および8月10・11日の運輸省(現:国土交通省)による立ち入り検査を実施し、同月13日より通過扱いながら当駅を含む区間の運転を再開した。その後もコンコースなど2層部の復旧工事が行われ、翌年1月17日に当駅は営業を再開した。
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阪神・淡路大震災による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 23:32 UTC 版)
「住吉駅 (JR西日本・神戸新交通)」の記事における「阪神・淡路大震災による被害」の解説
JR西日本 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、盛り土式ホームの大阪寄りが倒壊し、神戸新交通の駅舎との接触で駅本屋外壁が破損するなどの被害を受けたが、橋上駅舎やホームの一部は使用可能な状態であった。震災発生と同時に、当駅を含む区間は運転見合わせとなった。 2月8日に、芦屋 - 当駅間の内側線が運転を再開し、当駅は一時的に大阪方面からの終端駅となった。代替バスや阪急御影駅(同年2月13日に復旧)との乗換駅ともなり、大幅な混雑が予想されることから、崩壊した大阪寄りホームの代替として仮設ホームを神戸寄りに延伸するとともに外側線上にホーム幅の拡張を行った。さらに、降車専用の改札口を上下ホームにそれぞれ設けることで混雑緩和を図った。線路設備面では、もともと折り返し設備のない当駅が終端駅となったため、駅大阪寄りにJR難波駅の地下化工事で使用するものを流用したシーサスクロッシングを挿入することとなった。混雑防止の点から乗降客分離が望ましいが、当駅神戸寄りは9‰の勾配となっていることや六甲道駅付近の高架橋被災の点から引き上げ線を設置する余裕がなかったためである。 当駅までの復旧により、各駅停車は当駅で折り返し運転を行った。同月14日に尼崎 - 芦屋間の外側線復旧以後は、当駅で各駅停車と新快速が折り返し運転を行うようになり、原則として2番のりばで各駅停車が、3番のりばで新快速が折り返す運用とした。同年4月1日、最後まで不通となっていた灘 - 当駅間が運転を再開した。 神戸新交通 2番線側橋桁が落下し、当駅東側の橋脚も傾斜するなどの被害を受けた。その後、8月23日に当駅 - 魚崎駅間が復旧し、全線復旧となった。これにより、神戸市内のロープウェイやケーブルカー以外の鉄道は全て復旧した。
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