闘劇・EVO参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 22:35 UTC 版)
2003年には、日本の「闘劇」とアメリカの「Evolution Championship Series(EVO)」という、両国を代表する対戦型格闘ゲームの祭典に出場。複数のゲームにおいて優勝を果たす。この頃にはその強さが世界的に知られており、梅原は出場したほとんどのゲームにおいて優勝候補であり、出場する試合は人気カードであった。 2004年にはEVOに再度出場。『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』のルーザーズ決勝で「背水の逆転劇」(EVO Moment #37)と呼ばれる逆転を決め、称賛を受けた。 2005年、闘劇の『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』部門で大貫とタッグ「ウメヌキ」を組み優勝。『スーパーストリートファイターII X』の大会「X-MANIA外伝」をプロデュースなど活発な活動を続けるが、出場予定だったEVOをキャンセル。出場をキャンセルしたこと自体が海外のゲームサイトでニュースに取り上げられた。キャンセル理由はインタビューにて「練習せずに4タイトル取るのはキツイ」ためとインタビュアーにコメント。その際、大貫が出場し善戦していたことを聞いて讃えた後、焼肉をマネージャーに奢ってもらった事をインタビュアーに告げた。この前後から格闘ゲームの第一線から徐々に遠ざかり、多くのアルバイトを転々とした後、将来の稼業として麻雀を選択して雀荘に勤務し、プロの雀士を志す。 2007年、『Darkstalkers Combination Cup』(『DCC』)第2回大会に参加。ブランクがあったにもかかわらず『ヴァンパイアハンター』部門で優勝を果たした。使用キャラはパイロン。 2008年、勝負の世界に疲れ、主に認知症の老人を担当とする老人ホームで約一年間勤務をする 傍ら、『ストリートファイターIV』をプレイし始める。稼動直後から勝率90%以上をキープし続け、2008年8月8日付けで携帯公式サイトの通算バトルポイント全国ランキング1位となった。使用キャラはリュウ。 2009年、格闘ゲームプレイヤー「総師範KSK」の呼びかけに応え、ゲーム番組『ゲーマーズ甲子園』(7月23日・30日放送回)に出演。得意科目である『ストIV』をテーマに、「板橋ザンギエフ」(『バーチャファイター』世界王者)、「マゴ」(『ストIV』全国2位)、「ときど」ら有名プレイヤーも共演し、互いのテクニックを披露した。番組内では梅原はタレントの井手らっきょが対決し、簡単に勝利するが、試合内容は井手の「面白さ勝ち」と判定された。同番組は前後編に分かれて放映され、後編は梅原(リュウ)VSマゴ(サガット)の対決が行なわれた。梅原はマゴに押されるものの僅差で勝利。番組内の対戦ポイントでも一位を獲得し、梅原が勝利を果たした。 2009年4月18日にサンフランシスコで開催された『ストリートファイターIV』の全米選手権の決勝大会「GameStop STREET FIGHTERS IV NationalTournament Finals」に参加。同日の全米トーナメントで優勝したジャスティン・ウォン(英語版)、日本トーナメントで優勝したダルシム使いでベテランの伊予、韓国トーナメントで優勝したPoongkoと4人制の総当り戦に出場し、3試合全てを勝ち抜いて優勝を収めた。 2009年7月19日にアメリカ・ラスベガスで開催された「Evolution Champinship Series 2009 Finals」の『ストリートファイターIV』部門に出場。全戦においてリュウを使用して勝ち進み、決勝戦ではジャスティン・ウォンと対戦。ルーファス、アベル、マイク・バイソンと多岐にわたるキャラを使用するジャスティンとの接戦の末に勝利し優勝。梅原は、この試合後のインタビューで「4月に対戦した時は大きな差があると思ったけど、今回はかなりジャスティンは強くなっていた」とジャスティンを讃えた。 2009年8月7日に東京で開催された家庭用版『ストリートファイターIV』を使用してのKSK主催の家庭用格闘ゲームイベント大会「GODSGARDEN」ではネットによるプレイヤー投票で大差をつけて1位に選ばれ参戦。当時、アーケード版『ストIV』のBPキャラ別ランキングでエル・フォルテ部門1位であった中足絶唱TKDや、のちに闘劇09ストIII3rdを制したももちなど並みいる強豪を相手にしながらも順当に勝ち進んでいったが、Winner's FINALでは全国1位のクリムゾン・ヴァイパー使いであるうりょに接戦ながら敗北を喫し、Loser's FINALでは同じく闘劇優勝2回を経験しているマゴに敗北。3位という結果に終わり、また闘劇09の『ストIV』では大貫とのコンビで参戦するも準々決勝敗退に終わった。なお梅原はこの時期にアルカディアのコラム「道」を記し、かつての思い出話などを語っている。
※この「闘劇・EVO参戦」の解説は、「梅原大吾」の解説の一部です。
「闘劇・EVO参戦」を含む「梅原大吾」の記事については、「梅原大吾」の概要を参照ください。
- 闘劇・EVO参戦のページへのリンク