関連する史跡
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同市内の蔵王成沢にある八幡神社にも石鳥居がある。こちらも瀧山への鳥居とされ、古文書によれば天仁2年(1109年)建立とされている。日本最古級の鳥居として同様に重要文化財指定されている。 これら平安時代の石鳥居が山形県の内陸地方にのみ残っている理由として、この地方に地震や台風などの大規模な災害がほとんどなかったためであろうとされている。
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関連する史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 02:37 UTC 版)
貝谷不動尊 貝谷とよばれる渓谷の山中に位置する経典寺の別院。鳥居、灯籠などの石物は現存するが、本尊の鬼子母神は経典寺に移し、祀られている。 上常吉城 寺の上、北側の山頂に位置する。周囲を20~30メートルの絶壁に取り囲まれた要塞堅固な城であった。城主は進藤備前守。 七面宮跡 2代目の日観上人が1605年(慶長10年)8月に寺の上の山流れ尾に、清正公、妙見菩薩とともに七面大明神を祀り、村民の氏神としたもの。古くは祭礼も執行したが、市20世紀後半時点で廃れ、いずれも経典寺に合祀された。
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関連する史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 09:00 UTC 版)
茨城県古河市内 古河公方館跡天正18年(1590年)、氏姫が16歳のときに古河城から移り住み、以後の生涯をこの館で暮らした。跡地は古河総合公園内。 竜樹院跡もとは古河城にあった寺院。氏姫に従って古河公方館の隣接地に移転した。現在も古河総合公園に隣接する「虚空蔵菩薩」が相当する。また同じ敷地内にある「子安地蔵尊」は、氏姫の菩提寺・徳源院から移されたものと考えられている。 徳源院跡元和6年に氏姫が葬られた寺院。現在は古河総合公園内の桃林に囲まれた一角に跡地が整備されている。「徳源院」は氏姫の法号でもある。 松月院跡氏姫の子・義親の正室だった松月院の菩提寺。氏姫の孫・尊信を産んだ後若くして死去し、氏姫により手厚く葬られたと考えられている。現在は「松月院御所塚」が小公園として整備されている。古河総合公園から西に約400メートル、渡良瀬川堤防の東側にある。 古河城跡初代古河公方・足利成氏以来の御所。氏姫が16歳になるまで暮らした。明治末に大規模な渡良瀬川の河川改修が始まり、現在は跡地の大半が堤防と河川敷に変わった。三国橋と新三国橋の中間付近・堤防上に「古河城本丸跡」と書かれた標柱が設置されている。渡良瀬川に面した立地条件は現在も当時のままである。 雀神社氏姫と歴代の古河公方から崇敬された神社。天正19年(1591年)に氏姫から駒崎の田地を寄進された。現在は宮前町の渡良瀬川堤防隣に立地。 徳星寺もとは古河城にあった寺院。氏姫に従って古河公方館の隣接地に移転し、引き続き足利家の祈願所となった。江戸時代に鴻巣から現在地の横山町に移転。 埼玉県加須市内 真光寺古河城とは渡良瀬川の対岸にあり、古河公方ゆかりの寺院。慶長5年(1600年)、氏姫により、伊賀袋村の浅間神社・別当寺に任じられている。現在は廃寺となり、有志により再建された観音堂が残るのみ。
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