関所の廃止と史跡指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 03:15 UTC 版)
「新郷川俣関所」の記事における「関所の廃止と史跡指定」の解説
関所の廃止 明治2年には、関所が廃止された。新郷川俣関所廃止後、跡地は利根川改修により河底に位置する。新郷川俣関所の跡地近隣には「川俣関所址」という碑がたっている。柵内の立て札によると川俣関所の位置について「利根川沿岸につくられたものだが、河川改修のため番所跡も今は河底になって」いると記されている。 新郷川俣関所関連の文化財 「川俣関所跡」は記念物(旧跡)として昭和36年9月1日に埼玉県の指定文化財となった。「川俣関所関係古文書及び関係用具」一括は有形文化財(古文書)として昭和33年3月20日に埼玉県指定文化財となった。その内容は「御条目、覚書、新郷川俣御関所日記、御関所御手形寄帳、印鑑届などの関係文書、制札、番士の武装衣、鉄砲、三つ道具、手形などの関係道具」である。
※この「関所の廃止と史跡指定」の解説は、「新郷川俣関所」の解説の一部です。
「関所の廃止と史跡指定」を含む「新郷川俣関所」の記事については、「新郷川俣関所」の概要を参照ください。
関所の廃止と史跡指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:30 UTC 版)
五料関所跡に関連する史跡には、「五料関所跡門柱礎石・井戸」があり、玉村町で町史跡に指定されている。
※この「関所の廃止と史跡指定」の解説は、「五料関所」の解説の一部です。
「関所の廃止と史跡指定」を含む「五料関所」の記事については、「五料関所」の概要を参照ください。
関所の廃止と史跡指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:47 UTC 版)
関所の廃止 「申上書付」(大村家文書)によると、慶応4年(1868年)5月飯能戦争時に甲府警衛総督府の管理下となり、豊前中津藩主奥平大膳大夫が番所を警備、慶応4年(1868年)8月関所廃止の通達があるが、口留番所の廃止通達がないため、翌明治2年(1869年)に岩鼻県へ伺いの上番所を廃止、関門を取り払っている。 国の史跡指定 「栃本は、東海道箱根、中山道横川両関所の中間にあり、江戸から甲州・信州への交通の要所に位置」し、「建物は木造瓦葺切妻造り、一部2階建てであるが、かつては平屋・いろりの間・台所の私宅部分は、江戸時代の関守屋敷の様相」を残し、「御番門・矢来・柵木等の位置も絵図によってわか」り、現在の役宅は江戸時代後期の建造であるが、関所当時の形態を伝えるものとして、その重要性から1970年(昭和45年)11月12日、国の史跡に指定された。 その他、麻生加番所は、番頭の役宅は現存するが、番人詰所は取り壊されている。
※この「関所の廃止と史跡指定」の解説は、「栃本関所」の解説の一部です。
「関所の廃止と史跡指定」を含む「栃本関所」の記事については、「栃本関所」の概要を参照ください。
関所の廃止と史跡指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 14:36 UTC 版)
1869年(明治2年)の太政官布告により他の関所とともに廃止された。 明治維新後に撤廃されたが、道路に接し、石垣などの遺構もあり、後世にのこす遺跡として保存すべき必要があるとして、1928年(昭和3年)1月18日に「小仏関跡」として国の史跡に指定された。史跡管理団体は八王子市である。小仏関所跡は、八王子市にて八王子八十八景 歴史・文化の景のひとつとなっている。
※この「関所の廃止と史跡指定」の解説は、「小仏関所」の解説の一部です。
「関所の廃止と史跡指定」を含む「小仏関所」の記事については、「小仏関所」の概要を参照ください。
- 関所の廃止と史跡指定のページへのリンク